<進まなかった連携協議>
現行の公職選挙法上、政党要件(国会議員5人以上の所属など)を満たした国政政党には、政見放送への参加、小選挙区候補者の比例区への重複立候補が可能となっている。また、選挙カーの台数、法律で認められたポスターやビラの枚数などで「その他の政治団体」との間に圧倒的なハンデがある。政党要件を満たしていない地域政党は、法的には「その他の政治団体」であり、次期総選挙での天下取りを考えた場合、国政政党化は急務であった。
国政政党化を目指した大阪維新の会は、一般応募とは別ルートである、首長経験者や国会議員などの合流を候補者の育成と同時に進めた。9月、松野頼久衆院議員は民主党を離党し、10月3日の国政政党・日本維新の会の結成に参加。そのほか、自民党やみんなの党からも国会議員が参加し、計9人の国会議員団が形成された。しかし、この頃から、マスコミの世論調査では、自民党、民主党につづいていた橋下・維新の会の支持率が急降下。存在感のある橋下代表を前にすればイマイチ冴えない顔ぶれに「選挙で通りたいためだけではないか」といった批判が、支持率の低下につながったと言われている。
当初、国政政党化へ向けて橋下氏が期待していたのは、みんなの党の合流であった。みんなの党(渡辺喜美代表)は、かねてから堺屋太一元経済企画庁長官ら大阪維新の会のブレーンが共通していることから「政策の一致」を強調。もっとも日本維新の会に近い存在として連携を猛烈にアピールしていた。しかし、国会議員5人が喉から手が出るほどほしい橋下氏は、連携ではなく合流を提案。近く設立を目指す新党に参加するよう渡辺氏に求めた。「政策が一緒なら政党を一にして一緒にやろう」ということである。
ここで、渡辺氏は今まで掲げてきた「みんなの党」の看板に執着した。自民党をひとりで飛び出て以来、09年衆院選、10年参院選と2つの国政選挙を経て、党勢を拡大。11年の統一地方選挙では全国に地方議員も増えた。「元祖第3極」のプライドが、新興勢力である維新の会に吸収されることに抵抗を覚えた。橋下・維新の会との距離が一時開き、「政策が一致」しているのにも関わらず、連携の協議は、選挙を目前に控えた15日になってようやく政策の合意に至った。
日本維新の会が自前で他党から調達した国会議員の経緯を失敗として考えると、日本維新の会が殊更に「政策の一致」にこだわる点も理解ができる。「選挙互助会」「野合」といった批判が支持率低下につながると学んだ橋下氏は、かつて同じ改革派首長として手を取り合っていた減税日本の河村たかし名古屋市長とも、減税日本が掲げる「減税政策」「反消費税」の考え方が合わず(日本維新の会は「地方税化を条件とする消費増税」)、連携協議が難航。「中央集権打破」を掲げる大同団結は、第3極で最も勢いがあった日本維新の会が難色を示しており、いまだなされぬまま総選挙が目前に迫った。
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