野田佳彦首相は11月16日午後、衆院を解散した。同日夕方の閣議で「12月4日公示同16日投票」の選挙日程が決定。2009年8月以来、3年4カ月ぶりの衆院選挙となり、投票日まで30日間の超短期決戦に突入した。14日の党首討論で野田首相が自民党・安倍晋三総裁を前にした「16日解散」表明で突然走り出した年内解散。16政党(15日時点)と候補者が国民の信を求める。民主党からの離党が相次ぐなか、第3極の合流協議が続く。第3極は足並み揃わず、準備不足のまま選挙戦へと突入する。苦戦必至とみられる「平成維新」の行方は?
<困難が予想される選挙戦>
橋下徹大阪市長が代表を務める地域政党・大阪維新の会が国政進出へと本格的に動き出したのは今年の春。3月24日、次期衆院選の候補者選定を目的とした「維新政治塾」が開講した。当初、3,000人を超える応募があり、約2,000人が塾生候補生として選ばれた。これを皮切りに地域政党による国政進出の動きが活発化。一方で、全国各地に「○○維新の会」といった政治団体を設立する動きが加速した。
現在、第3極勢力に数えられる日本維新の会や減税日本、中京維新の会、そして太陽の党(石原新党)などは、すべて地方自治体の首長が代表を務め、遅々として進んでいない国の地方分権改革に「中央集権打破」という共通の目的を掲げた。すでに、地方選挙における応援などで協力関係があり、これら地方勢力にみんなの党を加えた第3極勢力の結集は、早くから予測されていた。
しかし、いくら〝風〟が吹いても受ける帆がなければ船は走らない。地元には高い支持があっても全国レベルではない地方勢力が、全国に県連組織を持つ自民党や民主党と対峙して選挙戦を行なうには、連携が必須なのは言うまでもない。日本維新の会は、各地で設立された「○○維新の会」との連携を同時に進めているが、候補者の選定と地方組織の拡大を同時進行で、しかも短期間で行なえるほど、組織の能力が足りていなかった。
大阪維新の会が1次公募を始めたのは9月。845人の応募があり、その半数が面接まで進んだ。それから155人が選ばれ、そのなかから17日に80人ほどを同党公認候補として発表するとしている。応募者数の規模で言えば、選考に時間がかかるのは仕方のないことかもしれないが、その大半は「維新政治塾」の塾生。関係者からは「なぜ、塾の勉強を重ねて人物を見てきた塾生を今さら面接する必要があるのか」と、訝る声もあがっていた。
野田首相が、政治生命をかけた悲願の消費増税関連法案を成立させるために、「近いうち」と解散時期をほのめかしたのが8月。以来、自民党、公明党の解散への要求は強まり、いつ解散となってもおかしくはない状況であった。第3極の登場に期待を寄せていた有権者からも焦りの声があがる。「維新政治塾の塾生」は政治活動を禁止され、支持をしようにもその支持を受ける候補予定者が現れない。
乾坤一擲の「平成維新」を成し遂げるには、国政選挙へ送り出す人材の見極めは必要不可欠だ。日本維新の会が打ち上げた「全選挙区への候補者擁立」は、極めて難しい目標設定だったのか。選ばれた新人候補者が12月4日の告示までに選挙体制を整えるには、あまりにも時間が短い。今回、初めての選挙、しかも国政選挙で、選挙事務所やスタッフの確保、選挙カー、ポスター・ビラの手配などの準備、立候補に必要な事務的手続きなどを急ピッチで進めていかなければならない。橋下氏は候補者擁立において、いわゆる「落下傘」を基本方針にしたが、自分の地元ではない選挙区での出馬であれば、不案内な土地ではなおさら準備に時間がかかる。以前から党の公認候補予定者として活動していた陣営でさえ、慌てて選挙準備を行なっているような状況である。新人候補者の各々が当落以前に、まともな選挙戦ができるのだろうか。
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