<絆を形にする住環境(コレクテイブハウス)>
1995年の阪神淡路大震災後建設された仮設住宅には2種類の住宅があった。
1つは、郊外の比較的広い場所に立てられ、連続した戸建住宅の一般仮設住宅、もう一つは、都心の狭い場所に、移動が困難な高齢者、障害者向けに立てられた集合住宅形式の地域型仮設住宅である。前者では、震災後、多くの孤独死(約230人)が出てしまった。後者は、個人の住居は6畳一間程度で、トイレも風呂も共同であり、大きな共同キッチンで、みんなが食事をする形式だったが、ほとんど孤独死は見られなかった。この教訓は、どのように今回の仮設住宅に活かされたのだろうか。
昨年(2011年)7月に仮設住宅を訪れた際、「今、欲しいのはみんなが集まれる場所です!」と、企業から寄付されたテントのなかでボランテイアの女性が訴えていた。先日、建築家伊東豊雄氏が中心となって建設された「みんなの家」が報道されていたが、震災からすでに1年半以上経過している。仮設住宅に最後に建設されたのが、被災者が待ち望んだ集会場やカフェといった場所だった。
その後、神戸では共同台所と食堂、あるいは共同の洗濯場、集会スペースなどを中心にすえ、かつプライバシーをもった個室の賃貸集合住宅、いわゆる「コレクテイブハウス」が建設されていった。さらに、これらの実践から小谷部育子(日本女子大学)教授などが中心となって、NPOコレクテイブハウジング社が設立されて、すでにいくつかのプロジェクトが実現されている。
「東日本大震災復興計画私案」のなかで、私は「うずたかく堆積した瓦礫、屋上に打上げられた漁船。その異様さは、まさに一瞬にして、朽ち果てる経過を破壊となした自然の脅威である。しかし、これとて、究極「建築はゴミ」だ、と証明したにすぎない」と述べた。様々な異論はあると思う。しかしながら住宅の平均寿命がわずか30年という日本の現状。長期に渡る住宅ローンの果てに、津波で家屋を一瞬に失った後に残る多額の負債。そこでは、家族がどのような豊かな生活を営むかという前に、持ち家=資産としての住宅、経済的な価値しか強調されない現実がある。現在、世帯数を上回る住宅が存在し、空き家が大きな社会問題となり、所有=リスクと考える若者の間で「シェア」がブームとなっている。私は、戦後からの持ち家政策は「国家的な詐欺」だと思っている。
震災にともなう原発事故を受けて自然・再生エネルギーへの関心が高まり、それを新たな商機ととらえ、また消費税増税前の住宅駆け込み需要を煽る形でスマートハウスが提案されている。たしかに、住宅におけるエネルギーに人々は関心を寄せるが、今の動向は震災で提起された「所有する意味」、「新しいコミュニテイの形成」、「高齢者の幸せな住環境」といった問題を先送りし、様々な装置を付加した「住宅産業」の復興事業にしか見えない。データ的にも、もはや若い世代は借金までして住宅を買う余裕はない。今が、震災が提起した住環境問題に正面から向き合う最後の機会ではないだろうか。
<プロフィール>
佐藤 俊郎 (さとう としろう)
1953年、熊本県水俣市生まれ。九州芸術工科大学、UCLA(カリフォルニア大学)修士課程修了。アメリカで12年の建築・都市計画の実務を経て、92年に帰国。「株式会社環境デザイン機構」を設立し、現在に至る。「NPO FUKUOKAデザインリーグ」理事、「福岡デザイン専門学校」理事なども務める。2010年2月の糸島市長選挙に出馬し善戦するも落選。11年7月、朝日新聞社「ニッポン前へ委員会」が募集した提言論文で応募作1,745のなかから、佐藤氏の「東日本大震災復興計画私案」が最優秀賞に選ばれた。
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