<移住の波>
今、糸島で多くの異業種交流会やイベントが行なわれ、その情報がフェイスブックなどで連日のように流されている。この半年ほどのあいだ、参加する会合や交流会で、大げさでなく、東京、千葉など首都圏から移住して来たという若者や、その家族と実に頻繁に出会う。その多くが、いわゆる自由業と呼ばれる業種で、デザイナーやIT関連技術者、あるいは音楽家や工芸家といった多彩な人々である。震災後の、とくに原発による放射能汚染の深刻化、あるいは将来における直下型大地震などを考慮して、移住を決断した人々である。
一般的にマスコミで注目される地域、あるいはブランド化された場所は、まず、感性が研ぎすまされたアーティストと呼ばれる自由業で比較的移住が可能な人々が、その場所の可能性や特性を嗅ぎ付けて生活を始める。次に、その可能性を形にし、魅力を発信するデザイナー、広告・雑誌編集者、メデイア関係者といった業態の人々が移住を始める。さらに、その可能性をビジネスとして展開する人々が続き、魅力(ブランド)が成立しはじめると、それに引かれた一般の方々や退職者が移住してくる。糸島は、まさにその形成過程にある。
首都圏からの移住を促せば、あたかも震災を利用した、煽動したと非難されるかもしれないが、震災以前から、国土形成において、東京への一極集中の弊害が議論され、同時に地方分権や分散化が大きな流れとなっていたはずであり、震災はその契機となったにすぎない。
一方、九州大学の伊都キャンパスへの学部の移転も加速している。首都圏における郊外から都心部へ回帰する大学移転に逆行する動きであるが、それをいまさら指摘してもどうにもなるまい。しかし、震災後、首都圏から移住してくる創造的で自由な気風(そのようの感じる)の人々の新しい価値観と郊外への大学移転は、考え方では時代の最先端を行く動向ではないだろうか。
残念ながら糸島の活性化を手がける学生グループ:ITOPの連中や、空き家プロジェクトといった事例以外に、九州大学が全学をあげて、学生がどのように住まい、首都圏の学生とは異なる新しい価値を持って生活するか、そのことの可能性と重要性を指摘する動きを知らない。今、九大の玄関口、学研都市駅前には、まさに雨後のタケノコのようなワンルームの学生アパートが立ち並ぶが、ワンルームと大学とバイトの三角形を移動する学生は、郊外へ移転した大学で何を得て卒業するのだろうか。
むしろ、積極的に、いや強制的にでも、糸島のなかで高齢化している農村集落へ学生たちを移住させ、週末など農作業や地域の祭事、イベントに参加させる。そのことは、首都圏では不可能であり、学業と貴重な農体験をもって社会へ出ることの新しい価値を創造できれば、郊外移転は大きな成果をもたらすと思う。「私は週末田植えをし、農家の方々と神楽を舞いました」と面接で言える最先端の情報工学専攻の学生を高く評価する時代が確実に来ているはずだ。
<プロフィール>
佐藤 俊郎 (さとう としろう)
1953年、熊本県水俣市生まれ。九州芸術工科大学、UCLA(カリフォルニア大学)修士課程修了。アメリカで12年の建築・都市計画の実務を経て、92年に帰国。「株式会社環境デザイン機構」を設立し、現在に至る。「NPO FUKUOKAデザインリーグ」理事、「福岡デザイン専門学校」理事なども務める。2010年2月の糸島市長選挙に出馬し善戦するも落選。11年7月、朝日新聞社「ニッポン前へ委員会」が募集した提言論文で応募作1,745のなかから、佐藤氏の「東日本大震災復興計画私案」が最優秀賞に選ばれた。
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