<若い世代の思い>
震災後の政府の震災復興構想会議が、失礼ながら60歳後半の多くの高齢者で構成されていたのに対して、「東日本大震災復興計画私案」を審査した朝日新聞の「ニッポン前へ」委員会は、これからの社会に責任を持つ意味で、あえて50歳以下のメンバーで構成されていた。私の長男が30歳という私的な理由以外に、やはり、これからの社会を担う20歳~30歳代の世代が震災後何を考え、どのように行動しようとしているか、多大なる関心を寄せている。
「絶望の国の幸せな若者たち」古市憲寿 (1985年生まれ)
若者=不幸という図式は、どうも先を行く世代の勘違いのようである。・・・「若者はけしからん」と、若者を「異質な他者」と見なす言い方は、もう若者でなくなった中高齢者にとっての、自己肯定であり、自分探しなのである。・・・と明快であり、・・・将来の可能性が残されている人やこれからの人生に「希望」がある人にとっては「今は不幸」だと言える・・・つまり、人はもはや将来に希望を描けない時に「今は幸せだ」と回答する・・・このように、自分の世代を分析してみせる。将来を考えると絶望以外にない、だから今を幸せと感じる世代論。そこでは震災すら、自分のつまらない日常をかえてくれる「非日常」として、村々する若者にとって村祭りのようなもの、と述べる。
「住み開き」アサダワタル(1979年生まれ)
これは、主に東京、大阪で自宅等を地域へ開放し、新しい結びつき(絆)を模索する事例を集めたものである。まさに、個人の領域を他人へ開き、そこで生まれる新しい人間関係や地域の活性化を模索する動きである。他人がはいり込み収拾がつかなくなると「わかっとるね、ここはおれん家よ!」と一喝すればよい、という最低のルールで維持管理する新しいコモンの自治である。
「独立国家のつくりかた」坂口恭平(1978年生まれ)
若者の間で絶大なる注目を集める早稲田の建築出身の実践的思想家(?)である。学生の時からホームレスの研究(?)を行ない、彼らが社会の経済システムや人間関係とは異なる世界にいることに驚愕し、そこから学び、みずからの空間思想を築き上げている。ついには、熊本にみずからの国家を創り、その元首である。発想に大いに共感する若者である。
以前、私の長男が「おとうさんの世代が、この社会をまっさらにして僕たちの世代に渡してくれたら、もっとすごい社会を創る自信はあるぜ!」と、酒の勢いなのか、言い放った。頼もしい、などと感じたわけではない。つまり、そう言ったところで、変わるわけがない、という若い世代の絶望の表れなのか。
会社勤めの同じ世代が、そろそろ現役を終えて次のステージに入ろうとしている。もしかしたら年金をもらえる最後の世代かもしれないが、だが待てよ!
きちっと帳尻をあわせて、負の遺産があるならば清算して、この地球と社会は世代の借り物とするならば、まっさらにして返す、少なくともそのために、まだ一汗流さなければ、退場は許されないはずだ。
「逃げるな、中年!」
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<プロフィール>
佐藤 俊郎 (さとう としろう)
1953年、熊本県水俣市生まれ。九州芸術工科大学、UCLA(カリフォルニア大学)修士課程修了。アメリカで12年の建築・都市計画の実務を経て、92年に帰国。「株式会社環境デザイン機構」を設立し、現在に至る。「NPO FUKUOKAデザインリーグ」理事、「福岡デザイン専門学校」理事なども務める。2010年2月の糸島市長選挙に出馬し善戦するも落選。11年7月、朝日新聞社「ニッポン前へ委員会」が募集した提言論文で応募作1,745のなかから、佐藤氏の「東日本大震災復興計画私案」が最優秀賞に選ばれた。
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