日本政府の尖閣国有化によって中国の反発が高まり、日中国交正常化40周年の記念事業や交流イベントの中止と延期が全国で相次いでいる。小泉首相による靖国神社参拝のときでさえ、ここまでの事態にはならなかった。
長年、日中間の民間交流の懸け橋を務めてきた治田氏は設立以来を振り返り次のように語った。
「弊社は1989年天安門事件の際に設立されましたが、あのときも外務省から渡航自粛勧告が出ました。私が在籍しました日中旅行社が各地の営業所を閉鎖するに至り独立開業させたのです。10年ほど前でしたか中国でSARS(重症急性呼吸器症候群=Severe Acute Respiratory Syndrome)という急性肺炎症が発生した時も、発生個所を避けながらご案内させていただきました。それから数年後、今度は小泉首相の靖国参拝も緊張が高まりました。しかし、小泉さんの参拝の時も日本側が行きたくないと言わない限り、民間交流は途絶えませんでした。数年おきに問題が生じてもだんだん戻っていきました。」
天安門事件は、1989年6月4日に、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧した事件として知られる。天安門事件に際して、武器を持たない大衆デモに対して軍事力をもって弾圧したことで欧米諸国を中心として国際社会から中国は厳しい非難を浴び、日本を含めた西側諸国は対中制裁に踏み切り、孤立状態に陥った。
治田氏の事業はその時期にスタートした。その後西側諸国の中で最初に制裁措置を解除したのは日本であった。そのこともあってか数年おきに浮上する日中間の問題のなかでも、草の根民間交流事業を支援する取り組みは中断することはなかったのだ。
「中国といえば西日本日中旅行社に話をもっていこうという方々は途絶えませんでした。」(治田氏)
「観光だけではなく、ボランティア的な民間交流の橋渡しをしてきました。技術交流などビジネスのお手伝いもしてきました。弊社は渡航・宿泊手配だけではなく、お客様の先方とのアポイントに至るまでサポートさせていただくのが他の旅行社と違うところです。」
と治田氏が語るように、日中間の専業旅行社として、きめの細かいサービスで信頼を獲得してきた。
ところが、今回の尖閣問題では、11月に入ってからも中国の蔡武文化相は日本政府による尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化以降、対抗措置として文化交流を中断していることについて 「日本側が誤りを正さない限り、中断せざるを得ない」と表明するなど、中国側も領土問題で譲歩しない姿勢を改めて内外に示している。
「日中の民間交流は時の政治状況に左右されやすいのがほかの国とは異なる特徴です。このまま国自体が閉ざされると今後の展開が望めません」
治田氏が語るように、日中間の問題が非常に難しく、諸外国とのそれと決定的に違うのは民間交流といえども政治的問題による振幅が激しいことである。それでも熱が冷めれば自然と元に戻っていった。今回は両国とも国民世論を背景に国家の威信がかかっているとして一歩も譲らない姿勢で臨んでいる。だが、事態の改善は永遠にないのだろうか。
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