<谷野頭取包囲網(32)>
支店長車に乗り込んだ沢谷は、運転手に栗野会長が入院している厚生会病院に行くよう指示した。
車が、日がとっぷり暮れた海峡市の海岸沿いの国道を左にカーブすると、右手に対岸の北九州市の夜景が海峡の水面に淡い光を投げかけていた。
この海峡は源氏と平氏が争い、平家が終焉を迎えた「源平合戦」の舞台となった。間もなく海峡市が3年前の4月にオープンした水族館「海峡館」が見え、市役所前を過ぎて柳並木が続く県道57号線を北上すると、右手に厚生会病院の灯りが見えて来た。
沢谷は車のなかで、
「谷野頭取罷免のために維新銀行の専務の自分が、こんなキューピット役を引き受けて良いのか」
と一瞬思ったが、しかし
「自分は維新銀行の取締役になれる器ではなかった。たまたま組合の副委員長になったことが幸いし、こうして専務取締役まで上り詰めることが出来た。これも偏に谷本相談役のお陰であり、第五生命の山上さんの引き立てのお陰だ」
と、感慨を新たにした沢谷は、
「今こそ谷本相談役のために滅私奉公してお役に立って恩返しをしなくては」
と、自分に言い聞かせた。
維新銀行は谷本頭取を頂点として組合出身の役員がサポートする体制が続いていたが、谷野頭取の誕生によってその様相が一変したため、再度権力を取り戻すための戦いが「谷野頭取罷免」の『TK計画』であった。
『TK計画』は、あたかも武家政治を確立しようと改革を進める平清盛に対して、既得権益を奪われた法王やそれを支える公家衆による平家討伐の「以仁王令旨」を踏襲するものであった。
沢谷は厚生会病院に着くと、エレベーターで東館6階にある栗野の特別病室を訪ねたが、丁度栗野は食事中であったため、一旦病室を出て休憩室で待つことにした。暫くすると女性看護師が、
「栗野さんの食事は終わりましたので、室内の方にどうぞ」
と、沢谷に声を掛けて来た。沢谷が急いで病室に入ると栗野が、
「ごめん。待たせて済まなかった。ところで谷本相談役に電話で伝えた件はどうなったかね」
と訊いてきた。
沢谷は、
「今日3時過ぎから谷本相談役室に役員6名が久し振りに揃いました」
と述べ、話し合われた内容について説明をしていった。
一通り話を聞いた栗野は、
「話の内容は良くわかった。いよいよ本格的に谷野頭取罷免に向かって動くことになるね」
と述べ、嬉しそうな表情を浮かべた。
「それなら週明けの月曜日、相談役のおっしゃられた通り、谷野頭取に僕の任期途中の退任を告げ、その代わりに北野常務と川中常務の退任の話はストップするように電話するようにしよう」
と、はっきりした口調で沢谷に伝えた。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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・「維新銀行 第二部 払暁」~第1章 谷野頭取交代劇への序曲(1)
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