10月5日、福岡県飯塚市の老舗菓子製造業(株)さかえ屋の旧経営陣による粉飾決算のニュースが西日本新聞にスクープされた。その後、各紙でも報じられ、批判の矛先は粉飾を容認した前・代表取締役社長の中野利美氏に向けられた。
当NET-IBにおいても『「さかえ屋決算粉飾」は、社会面で"事件扱い"するほどの記事か?』で、当初から銀行の対応が横暴ではないかと指摘していたが、この記事を見たある人物から弊社編集部に情報が寄せられた。このニュースの渦中にいる(株)さかえ屋の元代表取締役社長の中野利美氏である。中野氏は「粉飾については、事実だが、新聞では報じられなかった事実が多くある。」と、弊誌の取材に応じた。
<経営責任を取り全株無償譲渡>
中野利美氏は、元さかえ屋の代表取締役社長で、創業者の故・中野辰弥氏の長男にあたる。九州の菓子業界及び飯塚の経済界では著名な人物だ。だが、一連の報道にある通り、現在は同社の役員の立場を追われている。当初は経営不振のため責任を取って一族総退陣したと見られていた。しかし、現実は違った。今回、中野氏を取材した結果、今回の退任劇が、単なるお家騒動ではないことが明らかとなった。中野氏の証言を基に新聞記事から検証していきたい。
中野氏は西日本新聞朝刊にある3億円の架空在庫を計上しての粉飾決算を行ったことは認めた上で、粉飾の目的は、「運転資金の融資を得たかった」わけではない、と説明する。「複数行との間でシンジケートローンを組んでおり、その約定では、赤字になれば即座に全額返済の義務が生じることになっていた。(今回の粉飾決算は)銀行の貸しはがしを防ぐためであって、単に運転資金を得たかったからではない」という。中野氏によると、今年8月に西日本新聞の記者が取材に訪れた際、3億円の粉飾は間違いないかと尋ねられ、「間違いありません」と返答。その際、中野氏の妻で副社長だった富美子氏が、「粉飾のことを書くのであれば私たちが経営責任と株主責任は本来、別であるにも関わらず、株を無償で銀行に渡すことになったことも書いて下さい!」と懇願した。しかし、記事には旧経営陣がメインバンクである西日本シティ銀行(以下、西銀)が指定する業者へ保有する全株式を無償で譲渡させられた事実は報じられなかった。
<経営的に苦しい時、3億円の融資の吉報>
(株)さかえ屋は2003年頃、ようやく設備投資の返済が終わったことで、同社の製造部門であるグレアも黒字となった。その後、数年間は順調な経営が行われていたという。だが、08年9月のリーマンショック以降、消費低迷とデフレ景気により売上は落ち込み、09年には年間10数億円取引のあった企業との取引がなくなったことで経営的に苦しくなった。12年5月期は11年3月に発生した東日本大震災による自粛ムードなど、期中から厳しい戦いを強いられていた。そんな折、それまでなかなか融資に応じてくれなかった西銀から突然、3億円の融資を実行しても良い、との吉報が届く。
しかし、この融資には、当初から不可解な点が多かった。従来、飯塚支店が窓口となっていたにもかかわらず、突然、法人ソリューション部の担当者A(当時)や審査部部長B(当時)、専務取締役Cまでが登場したことだった。専務C、直々の面談などを経て、11年6月、同社は同行より晴れて3億円の融資を受けられることになった。
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