<破壊屋から創造家へ>
先達て(せんだって)、小沢一郎代議士の取材に同行した金木記者から、驚きと驚嘆のTELを受けた。
「凄いですね。こういうことでしたか。『〈国民の生活が第一〉では100人立てるが、これでは勝負にならない。過半数取るためにはあらゆる手を講じる。私は捨て石になって良い』と論じられていましたが、着々と布石を打っておられていたのですね。政治家小沢というイメージは〈壊し屋〉というものでしたが、真実はまさしく創造家です」
というものだ。
確かに9月の始めから、音楽家坂本龍一や俳優菅原文太などの文化人が、新たな市民政党を結成する動きは耳にしていた。毎週金曜日の夕方、東京首相官邸前で〈原発反対〉の市民デモが繰り返し行なわれてきた。「もう既成の政治家たちには任されない。自ら政党を結成して政治発言を高めよう」と、新たな党が組織されることは決して不思議ではなかった。特に最近では「国家至上主義」の民族派・右翼の陣営が目立つからこそ、市民派の結集が望まれていた。自然の流れであったのだろう。
その国民の、市民のまだ論理化できていなかった政治欲求を「反原発」にまとめようとした政治家・小沢一郎の嗅覚は鋭い。「次の闘いの焦点は【反原発】になる。必ず国民を奮い立たせる」と直感したのである。そしてリアリスト・小沢はドイツに飛んだ。反原発、原発に頼らない地域生活、産業構造を垣間見た。「なるほど、原発エネルギーを頼らずとも地域生活は豊かにおくれる」と確信したのである。「反消費税プラス政治課題は何か?」を求めていたが、ドイツで結論を下したのだ。「【反原発】の政策は観念ではない」と。70歳の小沢一郎は〈破壊屋〉から〈創造家〉へ深化したのである。
<捨て身の姿勢を貫け!!>
度々、記述してきたが、小沢一郎という政治家は、40代で自民党の副幹事長、幹事長の要職を歴任してきた。権力中枢に座ってきた持ち主だ。この人物が「このような国家機構では、政治体制では日本は滅びる」という危機感を抱いて、この24年間、政治変革・体制改造に奔走してきた。理念優先の政治家には謀略の網が投げかけられる。「金に塗れた政治家」というレッテルが張られた。≪金権田中角栄の再来≫とまで決めつけられた。
その〈権力の権化・金に塗れた〉政治家小沢一郎が、今回、市民運動家たちと一緒に政党を立ち上げたことはプロの政治評論家たちにはビックリ仰天だったに違いない。しかし、小沢一郎という政治家の感性は純粋なのであろう。あの福島県の1/3が原発被害で無人地区になった光景を目撃して「一体、自分は何のために政治をやってきたのだ!!」という強い自責の念に駆られた。政治の原点に立ち返った時に【卒原発】を掴んだのだ。
前回の取材の際も小沢氏は繰り返し「自分は一兵卒で国民のための政治変革、国家改造に命を賭ける」と発言していた。この捨て身の精神を貫ければ【日本未来の党】の活躍も期待できる。政治家小沢一郎の最後の決戦の戦端が切り拓かれた。
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