<谷野頭取包囲網(36)>
暫く考えていた谷野は、
「それじゃ、こうしよう。栗野会長が慰留に応じたら、予定通り両常務の退任を進めることにし、栗野会長を慰留しても、どうしても本人が体調を理由に辞任すると言った場合、確かに栗野会長が言うように、『3人の役付役員が同時に退任すると、行内が混乱する』と言うのも最もだし、2人の常務の留任を認めるということにしょうか」
と言うと、小林取締役も、
「栗野会長の顔も立って良いと思います」
と相槌を打った。谷野のこの決断が、「谷野頭取罷免」のプロローグとなった。
もし栗野会長の辞任を認めても、北野常務か川中常務のどちらか1人の退任を条件にしておれば違った展開になり、「谷野頭取罷免」の計画が露見するかもしれなかった。たとえ露見しなくても退任が決まりレームダックとなった常務取締役は、経営会議や取締役会議で谷野頭取罷免の賛否に加わることはできなかったかもしれない。
翌週、谷野は栗野会長を病室に訪ねると、栗野は「取締役退任届」と書かれた白い封筒をすでに用意して谷野に差し出そうとしたが谷野は受け取らず、栗野に辞任を思い留まるように何度も説得を試みたが、栗野の意思は翻らなかった。
栗野は、
「谷野頭取、私も体さえ良ければ決して、任期途中の退任を言いだしはしません。本当にいつ治るかわからないのに、このまま会長の座にいることはできません。少しでも良くなっているのであれば待ちますが、入院した時よりもむしろ悪くなっているような気がします。この際思い切って退任し、後進に道を譲ることを決心したものであり、今日頭取が来られると連絡があったので、この様に取締役退任届を用意して待っていました。これ以上いくら説得をされても私の意思は変わりませんので、是非この退任届を受取って下さい」
と谷野に手渡すと、谷野も観念したように退任届を受理することを決めた。
栗野は谷野が退任届を受取ったのを確認してから、
「谷野頭取、私が辞任することになったので、北野常務と川中常務の2人は退任でなく、共に留任させる人事で良いですね」
と問うと、谷野は、
「そのようにします」
と、小林取締役と話し合った通りの結末となった。
谷野頭取と小林取締役とで決めていた北野常務の退任および太平洋産業への転出は、谷野の、「そのようにします」との言葉で幻に終わり、後に展開する「谷野頭取罷免」の経営会議と取締役会議に出席し、守旧派による「谷野頭取排斥動議」に強く非を唱えた常勤監査役の大沢明之が太平洋産業に転出することになる。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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・「維新銀行 第二部 払暁」~第1章 谷野頭取交代劇への序曲(1)
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