<嘉田由紀子滋賀県知事の意地の貫徹>
今回の【卒原発=日本未来の党】設立の裏方のトップは飯田哲也氏であることは関係者は周知のことであろう。同氏のツイッターを覗くと1時間単位で駆け巡る壮絶な多忙さが窺い知れる。しかし、飯田氏が成果をあげられたのは嘉田由紀子滋賀県知事の存在があってのことだ。嘉田知事は京都大学農学部において博士の資格を得た。飯田氏にとって先輩後輩の間柄である。嘉田博士は環境学者として琵琶湖の水問題を巡る研究に没頭してきた。
この環境学者を2006年に8代目滋賀県知事に選ぶ滋賀県の民度も凄い。歴史的な蓄積があるのだろう。嘉田知事は県民の期待に応えて『安全・安心の生活環境』創りに注力してきた。その一つが滋賀県は周辺を原発に取り囲まれている。だからこそ《反原発・卒原発》には政治生命をかけてきた。一時は橋下大阪市長とスクラムを組んで原発再開阻止行動を担ってきた。ところが橋下氏は変節して〈方向転換=原発再開容認〉に踏み切った。男の裏切りにへこたれる嘉田知事ではない。女の意地を貫くチャンスを待っていた。彼女の闘争精神を理解していた飯田氏が【日本未来の党】の構想を提示したことで決断したのである。(3)で筆者の論を展開するが、学者であり市民運動の活動家であった嘉田・飯田両氏が垢で沈澱した政治の世界に全身全霊を尽くすようになったことは素晴らしいことだ。
<山口に未来のエネルギー生活を具現化させる闘いへ挑戦>
飯田哲也氏の経歴はここでは省略する。《ISEP環境エネルギー政策研究所所長》として様々な活動をしている。《橋下大阪維新の会》時代にはエネルギー関連の顧問役を務めていた。上記した通りに橋下氏の《原発を巡る変節》に袂をわけた。同氏には今年の夏からは2回取材面談している。東京において「必ず原発に頼らない生活できる社会を実現する」と決意を語ってくれた。その後、山口県知事選に出馬した。本当にタフな行動力のある人だ。
山口知事選では惜敗したが、ここからが飯田氏の偉大さの本領を発揮しだした。同氏は人の100倍理念・理想を抱く志士ではあるが、リアリストである。飯田氏の原点は科学者であることを忘れてはいけない。恐らく【卒原発】の命名は同氏の発案だろう。「原発に頼らずに別エネルギー(自然再生エネルギー主力)による生活スタイルの実現へむけて」の工程表を提示するのを得意としている。
山口県知事選に敗北したが、すぐさま《山口未来ネットワーク》を立ち上げた。県内を10ブロックに分けて世話人を決めて各地区で勉強会・音楽界を催しするのである。飯田氏は週末少なくとも2日間は山口県内に滞在して講演会などに登場する。目的は「原発エネルギーに頼らない生活をあり方」を浸透させるためなのだ。次回の山口知事選への準備というケチな企みではない。「保守の牙城・山口県内において県民一人一人が未来のエネルギー生活を導入したらそれは必ず国内全体に拡散される」という途方もない目論みがあるのだ。飯田氏の狙いはまさしく我々の日常の生活スタイルを革命することにある
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