<中国の領土膨張思想>
一方、同じ大陸国家であり、ロシアと陸上で国境線を接する中国には「国境線」という言葉は存在しない。中国語で「国境線」に該当する言葉は「辺彊」である。正確に言うと曖昧な地域を示す「緩衝地帯」に近い。
そのため中国では、「緩衝地帯」に「力の空白」が発生した場合、他民族はその空白を埋めようと侵略してくる。中国の歴史は、「辺彊」が他民族の手に落ちれば、「緩衝地帯」がなくなる。漢民族(支那人)にとって、中原の地(文明の中心地)から少しでも遠く離れた地域に「緩衝地帯」をつくることが、国家存続の前提であった。
毛沢東は昭和20年(1945)8月15日の日本の敗戦後、国共内戦に勝利する。国民党を台湾に追放すると、昭和24年(1949)10月1日、中国(中華人民共和国)を建国する。
このときの中国の「辺彊」は(満洲・内モンゴル・チベット・新疆ウィグル)の地域であった。「辺彊」経営を積極的に進めた結果、現 在は中国の膨張主義を支える戦略的拠点として位置づけられるまでになっている。
「辺彊」は陸上にだけ存在するのではない。海上にも「辺彊」は存在する。黄海、東シナ海、南シナ海はもちろんのこと、日本の琉球諸島周辺海域も、海上の「辺彊」として位置付けている。新たに最近は、西太平洋にまで海上の「辺彊」を拡大するかのような動きを加速させている(平松茂雄著・草思社『中国はいかに国境を書き換えてきたか』)。
その証拠に、中国海軍はここ数年、頻繁に沖縄南西海域を通過して、沖ノ鳥島海域で軍事演習を行なっている。平成23年(2011)6月には、ミサイル駆逐艦など計11隻が宮古島北東約100キロメートルの海域を東シナ海から太平洋へ向けて南東進し、その後、沖ノ鳥島南西約450キロメートルの海域では最大規模となる軍事演習を行なった。その後もたびたび沖ノ鳥島海域で軍事演習を行なっていることが確認されている。
日本では尖閣諸島に国民の関心が集まっているが、沖ノ鳥島海域はいまや中国海軍の海と化そうとしているのである。尖閣諸島だけでなく、沖ノ鳥島にも人を常駐する体制を早急に整備する必要があるのだ。
では、中国の海洋進出はいつごろから始まったのだろうか。
まず昭和49年(1974)1月、ベトナム戦争末期のどさくさに紛れて、中国が艦船と空軍機で、南ベトナムが支配していた南シナ海の西沙(パラセル)諸島から同国兵を排除し、不法占拠した。昭和63年(1988)3月には、ベトナム統治下の南沙(スプラトリー)諸島の赤爪礁を攻撃し、ベトナム兵70人を殺害し不法占拠している。さらに平成4年(1992)9月、米海軍がフィリピンから撤退すると、同年11月には漁船に擬装した海洋調査船を多数派遣し、平成5年(1995)2月、フィリピンの排他的経済水域(EEZ)のパラワン島近くのミスチーフ環礁に軍事施設を建設した。このように「力の空白」に乗じて、次々と不法占拠の領域を拡大しているのが中国なのである。
平成4年(1992)には、南沙諸島、西沙諸島、尖閣諸島を中国領土とする領海法が制定されている。翌年(1993)には全国人民代表者大会で、李鵬首相が「防御の対象に海洋権益」を含めると表明した。さらに平成22年(2010)には島嶼保護法が制定された。この法律は無人島の管理や離島の環境保護などを規定している。島嶼とその周辺200海里の海底資源や漁業資源を確保する狙いがある。黄海、南シナ海、東シナ海のすべてが含まれており、尖閣諸島や南沙諸島なども含まれることになる。
中国が主権を行使できるEEZは、国連海洋法条約の規定に基づいて計算すると、100万平方キロメートルしかない。ところが、その3倍の300万平方キロメートルの広大な海域を自国の支配する海だと主張するばかりか、島、海底資源、漁業資源もすべて自分のものだとして、領海法や島嶼保護法を制定し、中国の海洋覇権を正当化しようとしている。
平成18年(2008)3月の米上院軍事委員会の公聴会では、太平洋軍司令官のキーティング海軍大将が平成17年(2007)5月に中国を訪問した際、会談した中国海軍幹部から、ハワイを基点として米中が太平洋の東西を「分割管理」する構想を提案されていたことを明らかにした。
同司令官によると、この中国海軍幹部は、「われわれ(中国)が航空母艦を保有した場合」として、ハワイ以東を米国が、ハワイ以西を中国が管理することで、「合意を図れないか」と打診したという。
このことは中国海軍の近代化が進むなか、海上の「辺彊」を確実に拡大しようとしている中国の国家意志の表れである。
後にジャーナリスト櫻井よしこ氏が、この中国海軍幹部は、元少将で、現在は中国国防大学戦略研究所所長・楊毅氏であることを明らかにしている(『WiLL』平成24年1月号)。
現在の中国の領土膨張主義は、昭和62年(1987)に中国三略管理科学研究院・徐光裕高級顧問が論文で発表した「戦略的辺彊」という新たな概念を理論化したものである(『海国防衛ジャーナル』平成22年4月4日付)。
通常の地理的境界は、国際的に承認された国境で囲まれた範囲を、自国の領域(領土・領海・領空)としている。中国の「戦略的辺彊」とは、通常の領域概念とは異なり、「総合的国力の増減で伸縮する」と規定している。これは中国の領域が、常に膨張と縮小の歴史を繰り返してきたことから生まれた考え方だ。中央政府が強ければ「戦略的辺彊」の拡大とともに地理的国境は拡大する。逆に弱くなれば縮小するということを意味している。
中国では、政治体制や王朝が変わろうが、常に「中華思想」は普遍のものである。「戦略的辺彊」という新たな概念のもと、中国の領土膨張の野心はとどまるところを知らないのである。
中国の領土膨張主義が拡大すれば、間違いなく日本の命運は中国が握ることになる。中国の野望は、決して夢物語で終わる話ではないということを、日本国民は認識しておかなければならない。
<露中韓北VS日本は複雑な方程式>
韓国との竹島問題、北朝鮮との拉致問題も、露中韓北と日本との間の複雑に絡み合った方程式の中にあり、ロシアや中国との駆け引きを無視しては、解決できない問題だ。
ロシアと中国の動向を見極める能力、つまりは「悪の論理」を見抜くための力を養うことこそが、日本を取り巻く国際関係を理解する上で、必要な資質となるのである。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。5月31日に新刊「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版、現在第3版)が発売された。 公式HPはコチラ。
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