<2月11日が建国記念の日はナンセンス>
山崎氏が指摘した「天皇制を守りたい国であり、一人一人の主権者としての目覚めを望まない官僚の存在がある」というのはどういうことなのだろうか。
前提として同氏が象徴天皇制、現在の皇室を否定しているということではないことは明らかにしておきたい。そして「日本人は優れた国民性があり、きちんと理解力がある」という。問題は、主権者意識を持つことを国がおそれて、避けていることにある。表面的には民主教育が行なわれてきたが、肝心なところはあいまいにされてきたというのが同氏の認識である。
しかし、なぜ、国民主権を前面に出したがらないのか。
「天皇制、国体と国民主権が両立しないという考えに今でも立っています。そこが問題なのです」
天皇制と民主主義は両立しないとはどういうことなのだろう。現在の憲法下において天皇陛下はわが国の統合の象徴とされており、なんら矛盾するものではない。
日本の国体と民主主義は矛盾するという考え方は、いわゆる右派、民族派につながるものだが、最近、インターネットを媒体にいわゆる「ネット右翼」と呼ばれる民族主義的な主張が台頭している。尖閣問題や韓国との歴史認識などをめぐって若い世代が右傾化する傾向を懸念する向きも少なくない。
これについては、山崎氏は次のように語った。
「自分たちが主権者たる自覚と力があれば、右傾化する必要はないし、そもそも右傾化・左傾化以前の問題だと思いますよ」
さらに同氏はこうも語った。「昭和20年8月15日以前と以降では明確にわけるべきなのです。区切りをつけようとしていない」
「侵略したとかいろいろいわれるけれど、先の大戦で300万人を超える日本人が亡くなった。戦後、民主化されたにもかかわらず、日本人も敗戦ショックもあり、戦前と戦後の区切りをつけられないでいる」ことが、いまだに国民主権が根付かない理由だというのである。
今回の総選挙では、主要争点に上らなかったが、自主憲法制定を党是に掲げる自民党のみならず、改憲に前向きな日本維新の会などをあわせると、衆議院の数の上では改憲が可能な3分の2を確保している。
敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の統制下におかれ、事実上、日本の主権は停止した。その状況でマッカーサーに押しつけられた憲法を一度も改正せず、今日まで来たからわが国の政治がおかしくなったと認識している人が増えてきた。記者もその立場に近い。そうした立場の人でも、山崎氏の言う戦前と戦後の区切りがあいまいなままにされてきたという点は、同意できるのではないだろうか。
「建国記念日も神武天皇が即位した日とかいうけれど、2月11日が記念日なんてナンセンスなんだよ。しかし、そういう意思が働いている」だと唾棄するように言い切る。
山崎氏が元自民党職員であることは、先のプレゼント企画で紹介した通りであるが、戦後、現在の「建国記念の日」の前身にあたる紀元節は、天皇を神格化する行事と看做した占領軍によって廃止された。建国記念の日として復活させたのは、1967年。自民党政権のときだ。だから、建国記念の日に対する考え方は、意外な点ではあった。
同氏の考え方は、今回首相に就任した安倍晋三氏に代表される保守主義ではなく、自民党にあった2大潮流の一方、リベラル派の考え方に立脚しているといえるだろう。
では、山崎氏の考える民主主義政治のあり方はどういうものなのか。「地方自治は民主主義の学校」と呼ばれるが、2期8年務めた福岡市長のなかで、どのような実践をしてきたのだろうか。
※「山崎広太郎元福岡市長が語る」は、年内の連載は今回までで、年明け1月7日からの再開となります。
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