<全体ではなく1人1人の奉仕者>
「市長時代、就任してすぐにやったことが『市民に喜ばれる行政になろう』ということでした」。
山崎氏は、1998年の市長選で現職の桑原敬一氏を破り当選した。日本の行政システムでは、政権交代でスタッフの総入れ替えを行うアメリカなどと違い、政策スタッフを引き連れていくことができない。たった1人で1万人を超える福岡市職員と向き合わなければならない。トップは孤独といわれるが、その現実を前に、同氏が何よりもまず心がけたことが市民に喜ばれる行政となることだった。
山崎市政時代に市役所をあげて取り組んだのが「DNA運動」である。従来、役所がもつお上意識が、市民との関係を難しくしていると考えていた同氏は、民間の経営手法を市政運営に導入する形の行政改革を推し進めた。その一環として、全市的な取り組みとなったのがこの運動である。
D=「できる」から始めよう。
N=納得したうえで仕事をしよう。
A=遊び心を忘れずに。
山崎氏は「D」「N」「A」のうち、できることから始めることが一番大切なのだとして、「目の前の市民を大事にする、それができることなんだ」と語る。
「よく職員に言ったのものです。『君たちも小難しい顔をして仕事をしても楽しくないだろう。当たり前のことをやって喜ばれる仕事はありがたいじゃないか。市民のほうを向いて仕事をしていこうじゃないか』」
山崎氏は続けてこう話す。
「行政がスピード感をもって市民の多様化するニーズに応え切れていない。だから受けのいいポピュリズムが流行るわけなんだけれども、民主主義そのものが信頼を得られなくなっている。」
信頼の喪失は市民にとっても職員にとっても大きな損失だ。結果的に働く市職員もやりがいや使命感を得られない。また、仕事が楽しくなければ、意欲や向上心も湧いてこない。そこで働く1人1人がやりがい、充実感を得られていることは、組織の活性化にもつながる。
DNA運動の取り組みの中で、市役所、区役所に「May I help you?」という看板を掲げたことがあったという。市民に「何かお手伝いすることがありませんか?」という姿勢を示すことで、それまでの体質が少しずつ変わっていった。吉田市政になって、表面上はこのDNA運動がなくなったかのように見えるが、現在に至るまでその精神は継承されているのである。
記者が「やはり行政は、全体の奉仕者ですからね」と何気なく言うと、山崎氏から「全体の奉仕者じゃない。1人1人の奉仕者なんだよ」との言葉が返ってきた。
さらに「行政はきまって文書に"全体の奉仕者"と入れたがる。徹底的に1人1人の奉仕者だと言ってきた。そこが根本的な問題」と表情を引き締めた。
「公務員は、全体の奉仕者ではなく、1人1人の奉仕者」―山崎氏の考え方は、まさにこの言葉に集約されているようだ。
150万人という九州一の人口を有する福岡市では、住民・地域と行政が密着した小規模自治体に比べて、行政側からはどうしても1人1人の市民の顔が見えにくい。しかし、そうではなく窓口に来る市民1人1人の声を受け止めて行政として取り組む。このことが民主主義なのだと山崎氏は強調する。
だが、理念やかけ声だけでは、行政は動いていかない。実際の市政運営はどうだったのだろうか。山崎市長時代は、福岡市にとっても過渡期にあたり、厳しい事態が何度も生じていた。次稿では、福岡空港の移転問題やオリンピック誘致、そして市職員の不祥事などに対して、同氏がどのように向き合ってきたのかを紹介する。
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