谷野と向かい合って座っていた常務の吉沢が、
「今、沢谷専務が言われた通りで、現場の営業店長には、『あれはするな。これもするな。今は法令遵守だ。綱紀粛正だ』と言うばかりで、明確な経営方針が示されていないため右往左往しているのが現状です。
今まで維新銀行は『三本の矢』をモットーに和を尊ぶ行風を育み、経営陣は団結していました。しかしあなたが頭取に就任されてから、その古き良き伝統が壊されています。その典型的な例は谷本相談役に対する礼を失した高圧的な態度であり、栗野会長を疎かにするなど、経営陣の足並みが乱れています。
その上『第五生命のアンケート調査』を、役員9名の責任追及の道具に使おうとする動きは目に余るものがあります。今こそ役員全員が一致団結しなくてはならない大切な時です。この際業績の急回復を花道に是非ご勇退して頂き、新しい指導者のもとで再出発をすべきだと思います」
と、畳みかけるように言った。
谷野は、
「昨年夏に発生した2件の不祥事件で現在も業務改善命令が発令されており、もうこれ以上の不祥事件が発生すると、当行が大変な事態に追い込まれるのは必定です。
先程話しに出た『第五生命のアンケート調査』は中国財務局から指示を受けたものであり、役員の責任追及の道具に使うなどと言うのはとんでもない話で、むしろ維新銀行が再び業務改善命令を受けないようにするために実施したものです。決算月のため確かに営業店には迷惑をかけたかもしれないが、当行全体の信用が問われている重要な案件であって、それは私を含めここにおられる役員全員が責任を負うべき問題です。調査結果を真摯に受け止め、『糺すべきは正す』ことによって、より良い維新銀行にしていくことが求められています。それにも拘らず私の経営方針が気にくわないから『勇退せよ』と、一方的に退任を迫るのは筋が通りません」
と、やや気色ばみながら反論した。
すると北野が、「そうはおっしゃいますが、我々は経営に携わると同時に、現場の営業を預かっています。あなたは常に、『綱紀粛正や法令遵守』をお題目のように掲げておられますが、だからと言って、現場は営業を疎かにするわけにはいかないんです。
この沈滞したムードを打破するには、業績を急回復させたことを花道に引退を決断された方が、谷野頭取にとっても、維新銀行にとっても一番良いと思いますよ」
と、現場の意見を代弁するかのような口振りで、谷野に強く退任を迫ってきた。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
※記事へのご意見はこちら