谷野は、午前中の経営会議が始まる前から、沢谷、吉沢、北野、川中の4人が、いつもと違って冷ややかな態度を取っていたし、反対に谷野が視線を向けると、どことなくその眼差しの奥底からは暗い翳を放っているように思えてならなかった。そのため何か起こるのではないかとの予感を抱いて会議に臨んだが、何事もなくも終わりほっとした直後に、その予感が現実のものとなった。
谷野は沢谷らが引き揚げた後、放心したように椅子に座ったまま暫くじっと考え込んでいた。谷野は沢谷が、
「我々4人が揃って面談を求めたのはそれ相応の覚悟があってのこと」
と言い、また
「勝算がなければこんなことは言わない。要は谷野頭取のご決断次第です」
と言った言葉を何度も思い返していた。
谷野は特に沢谷専務が、
「勝算がなければこんなことは言わない」
と自信ありげに言った根拠は何だろうと考えているうち、ふっと栗野会長が言った言葉が記憶に蘇って来た。
それは栗野とコンビを組んで1年近く経った頃、栗野が
「川中常務は営業本部長として失格だ。営業店をぐいぐい引っ張っていく迫力に欠けるし、営業店長からも軽く見られている」
と、再三更迭を口にしていたことだった。
しかし03年4月を境に、栗野は川中に対する批判をピタリとしなくなった。それは谷本相談役が西部県防衛協会の会長として西京支店に赴き、吉沢常務と「谷野頭取更迭」の話し合いをした直後からであった。谷野は栗野会長が川中常務の批判を急にしなくなった理由はわからないままであったし、その頃から谷本の指示で自分の更迭の話が密かに進んでいるとは知る由もなかった。
その後、栗野は病気となり、自らの取締役退任と引き換えに北野と川中両常務の留任を求め、それを谷野が了解した僅か2か月後、攻守逆転して今度は谷野自身が自発的な退任を迫られる深刻な事態に直面することになろうとは思いもしなかった。
谷野が一連の動きを時系列に思い浮かべていくと、栗野が北野と川中の2人の留任を求めて来た理由は、留任が確約されれば守旧派に留めおくことが出来るうえ、取締役会議で過半数の議決権を確保することができることを見越して、仕組んだ罠であることに気付いた。
もし2人を退任させるように動いておれば、事前に谷野頭取罷免の動きが察知できたかもしれなかった。そうでなくても退任の立場にある2人が最終的にどんな態度を取るかは判らないし、経営会議や取締役会議で誰か1人でも棄権もしくは反対に回れば、決議は微妙であったかもしれなかった。
沢谷が誇らしげに、『勝算がなければこんなことは言わない』と言った言葉の意味に、今になってやっと気付いた谷野であったが、もう時既に遅く引き返すことはできない立場に陥っていることを悟った。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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