全国平均を大きく上回る病床数や地域での病院間ネットワークなど、「医療のまち」としての可能性を秘めている飯塚市。市内の病院のなかでも、もっとも多い病床を有し医療設備が充実している飯塚病院は、2011年12月、市や九州工業大学とともに「医工学連携の協力推進に関する協定」を締結。「医療のまち」としての現状や医工学連携の今後について、飯塚病院副院長の鮎川勝彦氏に話を聞いた。(聞き手:大根田 康介)
<試作品がつくれる環境整備に着手>
――そのスキームを飯塚にも持ち込むことができれば、飯塚市の医工学連携は大きく進むでしょうね。
鮎川 そうですね。これは具体的に進んでいる話ではないのですが、「フォガティ・インスティチュートin飯塚」といったものができればと考えています。実は、フォガティ博士は12年4月に日本に来ています。日本のなかでも活発に医療機器開発の取り組みが行なわれているということから、飯塚市の医工学連携を知り、この地にもいらっしゃいました。その際、飯塚市、飯塚病院、九州工業大学の3者で迎え入れ、その縁で9月の訪米が決まりました。このような海外の施設とも交流しながら、飯塚市の医療機器開発を加速させていきたいと考えています。
九州工業大学も「バイオデザイン」のようなコースを設けて、医療機器開発を進めていくことを期待しています。ベンチャーの資金調達については、日本では寄付金への課税についての課題がありますので、現状は経産省など省庁の研究開発費が主な調達元になるでしょう。そのためにも、省庁からの情報収集に注力していく必要があります。これには飯塚市だけでなく、県も協力姿勢にあります。
今回の視察で何が必要で何が不足しているのかが見えてきたので、これからはそのインフラ整備をしながら、今できることからやっていくつもりです。アメリカの病院でも、試作品をつくるワークショップのような設備があります。ニーズを伝えたら翌日にでも試作してもってくる、といったものです。これと同じような設備をつくっていくことが必要です。また、九州工業大学の金型センターも利用させていただきながら、試作品がつくれる環境整備に着手し始めたところです。
飯塚市にお願いしているのは、試作品をつくることができる企業のリストアップです。これは、飯塚市の素地を考えれば、難しいものではないと考えています。このように、できることからやっていくのがまずは必要であると考えます。
<プロフィール>
鮎川 勝彦(あゆかわ・かつひこ)
鹿児島県生まれ。1981年九州大学医学部卒業後、九州大学附属病院救急部入局。九州大学附属病院救急部・麻酔科・集中治療部に17年勤務。98年、(株)麻生飯塚病院救急部部長、集中治療室室長就任を経て、99年、同院救命救急センター所長、06年副院長に就任した。07年経営担当副院長、12年より医工連携担当副院長を兼務している。この間救急搬送患者情報伝達システムIT化を推し進めてきた。
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