家業を引き継いだ梅田兄弟が2人3脚で発展させてきた(有)梅田畜産。すべて偶然から生まれた福岡・飯塚を代表するブランド豚肉"乳豚(にゅうとん)"は、多くの消費者の舌を満たしている。乳酸菌配合の飼料に加え、添加剤には天然ミネラルを豊富に含んだ阿蘇の黄土、飲料水には磁気活性水を使用し、文字通り一味違う豚肉が誕生した。その背景にはどのような思いがあったのか、同社専務取締役の梅田秀美氏に話を聞いた。
<働かざるもの食うべからず>
――そもそも、どのような過程で梅田さんは畜産業に携わることになったのでしょうか。
梅田 私の場合、物心ついたときから豚舎があったという感じですね。普通なら、当時の農家の庭先には牛がいたものですが、うちの場合は豚がいました。育った頃からそうした環境に慣れ親しんできたものですから、畜産に携わるのはごく自然な流れでした。
小さな頃から母によく言われていたのが、「働かざるもの食うべからず」ということです。小学生から豚舎に入ってエサやり、掃除、去勢の手伝いまで当たり前のようにしていました。その頃の私は「何でこんなことをせんといかんのか」と思っていましたが、それが中学、高校と続くなかで「この仕事のおかげで自分は学校に行かせてもらえてるんだ」と感じるようになりました。
私には、現在当社の社長を務める兄が1人いますが、これも母の口ぐせで「兄弟2人の力を合わせなさい」と言われていました。兄は跡を継ぐため、必然的に農業高校へ進みました。一方の私は、どうしても母の家系は大学に進学するという方針があったようで、東京農業大学に進むことになりました。
その間、会社の方は金銭的な問題など本当に大変な時期がありました。借金だらけのなか、「いつ倒産するかわからんから、一度はよその会社で飯を食っておけ」という両親の考えもあり、私は農協で10年間、家の様子を見ながら働きました。39歳頃、「今こそ農協を辞めて自分が羽ばたけるときだ」と感じ、思い切って退職して当社に入りました。
その後の5年間、今の古い豚舎のままではやっていけないということで、どうにか豚舎を建て直すことにしました。兄が養豚業に就いた頃、筑豊地方は養豚ブームで、とくに飯塚では各施設から排出される残飯などの食品廃棄物をめぐって奪い合いになっていました。そのなかで、当社もどうにか残飯でエサ代をまかない、景気に左右されないような会社になっていきました。
| (中) ≫
<店舗情報>
■豚肉工房うめちく
所在地:福岡県田川郡福智町金田1853-3
TEL:0947-48-3229
URL: http://umechiku.co.jp/
<COMPANY INFORMATION>
■(有)梅田畜産
代 表:梅田 幸司
設 立:2002年4月
資本金:300万円
※記事へのご意見はこちら