陸前高田市は、東日本大震災によって、岩手県の自治体の中で一番の被害を受け、2年が経とうとしている今も200人以上が行方不明者のままだ。戸羽太市長は、95年から市議、次いで助役を務めた後、2011年2月に市長に初当選。就任から1カ月を経ることなく、大震災を経験した。
2011年3月11日、市街地の全域が津波にのみ込まれた。津波が来た時、戸羽市長は市庁舎に避難して難を逃れ、その日は、市庁舎に閉じ込められたままとなった。「生まれて初めて絶望を感じた。妻が行方不明になっていたが、市長という立場で行政の仕事をしなければならなかった。家族を捜しに行けなかった。夫として、人間として、情けない思いに駆られた」。
2人の息子を親戚に預けて職務に奔走し、4月5日、安置所で妻の遺体と対面することになる。家族を失った深い悲しみの中で、今なお陸前高田の復興のために尽力し続ける。
<2つのミッション>
「わたしにはミッションが2つある。陸前高田を世界に自慢できる素晴らしい街に復興させること。そして、2人の息子を育てることです」。
復興のスピードは遅い。しかし、地震があった3月11日に市長が感じた絶望から、希望が見出せるところまでは来ている。
ガレキの大部分はまだ未処理のまま、津波で被害を受けた建物も残されたままになっている。労働力の確保、地場産業の復活、被災者の精神面のケア、高台移転など住居の問題、高齢の被災者への対応...やるべきことは山ほどある。
1、2年経てばいい状況になると自らを叱咤し、復興への道を歩んできたが、いばらの道はまだ続く。多くの被災者が未来に不安を抱えたまま、東北は2度目の長い冬を迎えた。「震災で親をなくした子どもたちが市内に150人以上いる。彼らが、夢や進路をあきらめなければならないことがないように頑張りたい。いつか、陸前高田に来てくれた観光客を笑顔でお迎えしたい」と戸羽市長。震災が忘れられてしまわないように、声を上げ続ける覚悟だ。
これは東北だけの目標ではない。すべての日本人が、復興を「日本のやるべき第一のこと」と考え、危機感を共有すべきだろう。
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