谷野が頭取室に戻ると、後を追うように大沢監査役が入って来た。谷野は大沢を応接室に案内しながら入口の扉にロックを掛けて引き返して来た。大沢は谷野が扉をロックするのを見て、「何か、大変なことが起こったな」と直感した。
谷野はソファに腰を掛けるなり真剣な眼差しで話し始めた。
「実は７日の取締役会議が終わった後、沢谷専務、吉沢常務、北野常務、川中常務の４人がこの頭取室に押しかけて来て、私に『任期満了にともない取締役を自ら辞任するように』と申し入れて来ました。 そこで人事権は代表取締役の頭取の私にあるので、そんな申し入れは聞けない、と言うと、沢谷専務たちは、『谷本相談役や栗野会長を疎かにする態度、それに我々に対しても横柄な態度をとるあなたのやり方には、もうついていけなくなった。昨年起こった２件の不祥事件以来、銀行内部も暗くなっており、黒字転換を果たしたのを機に、栗野会長も退任することでもあり、あなたも自発的に退任して人心を一新してもらいたい』と言うのです。
僕が『そんなことは退任する理由にならない。もし私が営業上で大きな判断ミスを犯し、銀行に多大な損失を与えたとか、私が個人的に犯罪に手を染めたのであれば、あなた達から言われなくても辞任する。そうでないのに何故私が辞任しなくてはならないのか』と言うと、沢谷君たちは、『維新銀行は伝統的に"三本の矢"をモットーに役員同士"和"を尊んできたが、私が頭取になってそれが崩れてしまったので辞めてほしい』と、訳のわからない理由をつけて退任を迫ってきました。どうも山上正代外務員の保険勧誘に積極的に協力し、『第五生命のアンケート調査』に名前が載っている役員たちが一緒に動いている様です。
沢谷専務が言うには、『もし私が自発的な退任をしなければ、取締役会議で私の取締役再任に反対の動議を提出する』そうです。どうも組合出身の取締役が結束して動いている様子でした。ただ組合出身の取締役のなかで木下取締役だけは外れていますが、それ以外の取締役は全員、私の取締役再任に反対する動きをしている様子でした。
また沢谷専務たちは『あなたの取締役再任に反対する取締役は過半数を超えており、むしろ自発的な退任をした方が、あなたの名誉が守れるのではないか』と、脅すように言って来ました。
私の退任を主導しているのは谷本相談役で、取締役会議で僕の再任に反対するのは、栗野会長、そして組合出身の沢谷専務、吉沢常務、北野常務、川中常務、松木取締役、大島取締役、原口取締役の７名に、首都圏本部長の古谷取締役を含め、計９名と思われます」
と述べた。
さらに15日の土曜日にも４人が、自宅に訪ねて来て自発的な退任を迫ったことなど、今まで話し合った内容について縷々説明をしていった。
谷野の話をじっと聞いていた大沢は、話を聞き終わると徐に口を開き、
「神聖な代表取締役頭取の人事権を集団で奪おうとする、こんな暴挙が許されるはずがない。これは維新銀行始まって以来の不祥事と言うか、完全にクーデターだ。もしこのことが世間や中国財務局に知れたら大変なことになり、維新銀行の信用は地に落ちることになる。今から監査役として何とか動いて見るが、何故もう少し早く知らせてくれなかったのかね」
と叱責するように言って、急ぎ足で頭取室から引き揚げて行った。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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