大沢は監査役室に戻ると早速、東南支店長の沢谷専務に電話を入れた。電話に出た沢谷に、
「監査役の大沢ですが、先程谷野頭取から相談を受けてびっくりしたんだが、『沢谷専務たち4人が谷野頭取に自発的な退任を求めて来た』と聞いたけれども、どうしてそんなことをしたのか、監査役の私の任務として詳しく事情を聞きたいので、ご足労をお掛けしますが、こちらの方に今日でも、明日でも結構ですので来て頂けますか」
と訊いた。
すると沢谷は、
「今日は既に予定が入っており、明日であれば3時頃にお伺いしてお話し出来ますが、それでいいですか」
と言ってきた。
大沢は一刻も早く会って話を聞きたかったが、沢谷の都合も考えて、
「それなら明日3時に監査役室に来て頂くということで、宜しくお願いします」
と言って電話を置いた。
大沢は、営業本部長の川中常務からも事情を聞こうと役員室に足を運んだが、あいにく役員室に居たのは、木下取締役と小林取締役の2人だけで、肝心の川中常務は不在であった。
大沢は小林取締役に、
「役員の日程表によると、川中常務は終日本店となっていますが、本店内のどの部に行っているか聞いていますか」
と尋ねた。
すると小林は、
「日程表はそうなっていますが、今朝早く吉沢常務から電話があって、急遽西京支店に出張することになり、ついさっき出て行かれました。なんでも県の出納長から県債発行についての相談があって、急遽同席することになったと言っていました」
と、不在を告げた。
大沢は、役員室にいる木下取締役と小林取締役の2人に、先程谷野から聞いた「クーデター」の話を知っているかどうか聞きたかったが、2人の表情からは何かを知っている様子が見られなかったため、
「ああ、そうですか。有難うございました」
と言って、役員室から出て行った。
再び監査役室に戻った大沢は下田監査役を応接室に誘い、
「実は谷野頭取から相談を受けたんだが、どうも一部の役員達が谷野頭取の任期満了を理由に、退任させようとする動きをしているらしい。いわゆる『谷野頭取更迭のクーデター』が計画されている様だが、監査役の立場として、そのような行動を看過するわけにはいかない。残された時間は少ないが、何としてもそのような行動を阻止したいので、君も協力をしてほしい」
と伝えると、下田は畏まったように、
「それは絶対にあってはならないことです。大沢監査役の指示に従って動きます」
と、大きな声を返して来た。
大沢がこの様な大事な話を下田監査役にしたのは、『下田は人事部長時代、第五生命の山上に人事情報を事前に流したり、山上の推薦のお陰で監査役になれたとか、山上との深い関係がとかく行内で噂される人物』であったが、大沢のもとで3年間監査役として指導を受け、昔の下田ではないと大沢が判断したからであった。
しかし後に下田は、谷野が頭取の座を追われ、大沢も監査役を退任する事態になると、守旧派とよりを戻し細作(スパイ)として活動。敗れた改革派の会合に何食わぬ顔をして出席し、その集めた情報により、残った取締役を退任に追い込むことに成功。その働きが評価され監査役退任後は、関連会社の維新保険サービスの社長ポストを手に入れることになる。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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