2月9日のネットのニュースで江副さんの訃報をうかがい、正直、驚きを隠せない。内定者時代の江副さんの胴上げ、25周年での高輪パーティでの社交ダンス。懐かしい思い出。あの時に配られたカモメマーク入りのネクタイ。いまだに江副モデルでのリクルートの営業スタイルが変わらないことが、何より江副さんの凄さを物語っているのではないだろうか?
リクルートに入社する際、社員全員に配られる「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」のプレート。これを机に置き、毎日自分に問いかける。そして行動そのものが自然とプレートの言葉通りの自分に変わっていく。それが所謂"リクルートイズム"であると思っているし、今でも私の訓示になっている。
普段の江副さんは、とても穏やかな方。新入社員当時、私のような下っ端の社員にも気さくに話しかけてくれた。社員には「社長」ではなく「江副さん」と呼ばせ、気軽に話のできる雰囲気をつくっていた。そんな江副さんでも、「採用」の話になると人が変わったように厳しい表情になる。とにかく「人材」へのこだわりのある人だった。「自分より上だと思える人材を連れて来なさい」――これは江副さんの口癖。基本的に人間は、根本的な部分を知らない場合は、相手を少し上に見るところがあるから、自分と同レベルと思っている人材を連れて来るとレベルが下がる。人材のレベルを下げることへの妥協は許さなかったのだ。
「人」「モノ」「カネ」と言われて久しいが、最初から「人」に力を入れて、採用へ人材を投入していた。リクルートの素養を持つやる気溢れた負けん気の強い人材を採用し、教育にお金を惜しまない。そして頑張れば頑張るほど自分にもメンバーにもご褒美が入り、メンバーを育てる仕組みをつくった。江副さんは心理学出身だけあって、本当に人の心の動きを理解しているなと、経営者としての立場で見ると今さらながら感心する。人材の採用・教育の仕組みは驚くほどシステム化され、そのシステムがきちんと運営されていた。
リクルート事件後、ほとんど姿を見せることもなかったが、江副さんから直接薫陶を受ける機会に恵まれたことは、本当にありがたいことだった。才能があり過ぎる人は、どこかで偏りはあるし、反発も受ける。ただ、残された我々にとっては、江副さんの存在は余りにも大きく、尊敬と感謝の念を禁じえない。ありがとうございました、と心から言いたい。
<プロフィール>
真部 敏巳(まなべ としみ)
(株)リクルート住宅情報・(株)リクルートコスモス(現:コスモスイニシア)流通営業部を経て、公認会計士事務所の不動産関係会社社長。1992年、(株)アセットパートナーズを設立後、01年にCRC企業再建・承継コンサルタント協同組合を設立し代表理事に就任。現場の第一線で企業再建・承継コンサルタントとして全国行脚。
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