『谷野頭取交代劇』が繰り広げられる3日前の5月18日(火)、午前中海峡市は薄い雲に覆われていたが、正午を過ぎると快晴となり最高気温は24.3度まで上昇し、初夏を思わすような陽気になった。
東南支店長の沢谷専務を乗せた車は、午後2時過ぎ維新銀行本店の地下駐車場に到着した。沢谷は、来客用のエレベーターを利用すると、ひょっとして客の見送りをする谷野や他の本部役員と乗り合わせたらまずいと思ったのか、エレベーター横にある階段を息つく暇もなく、一気に6階まで駆け上がり谷本相談役室に直行した。
既に谷本相談役と川中常務が応接室に待機しており、沢谷は、
「お待たせしました。地下1階から階段を使って来ましたが、途中誰とも会いませんでしたのでその甲斐はありました」
と、胸を撫で下ろすような仕草を見せて椅子に座った。
川中は早速、
「大沢監査役から10時半から12時半までの2時間近く、『谷野頭取への辞任および罷免要求』は決して許されるものではなく、撤回するようにと何度も説得されましたが、私も『一方的に我々の方が悪いような言い方をされますが、役員同士和を尊ぶ、維新銀行の古き良き伝統を崩壊させるような事態を招いたのは谷野頭取の方であり、むしろ谷野頭取こそが自ら退任すべきです』と反論しました。結局話し合いは平行線のまま終わりました」
と話し、大沢と話し合った内容をこと細かに説明していった。
すると谷本は、
「やっと谷野君も動き出したね。しかし今頃になって騒いでも、もう手遅れというのが判らないのかね」
と言うと、一転して神妙な顔付きをして、
「僕が一番恐れていたのはね、任期途中の退任を求めた7日以降、谷野君が本部役員や部長クラスに、『沢谷専務たち4人から頭取交代を求められた』と声高に言い募り、それが瞬く間に全行の支店長クラスにまで話が伝わると大変なことになると心配していたんだ。そうなると谷野君に従う行員たちが騒ぎ出して外部に漏れることにでもなれば、それこそ谷野君の頭取交代計画は頓挫するかも知れないと危惧していたんだ。しかしまあ、この一週間、谷野君がジッとしていてくれたお陰で助かったのも事実だ。最も今になって騒いでも、もう間に合わないがね」
と、自信を持った言い方をした。
沢谷が、
「今から大沢監査役と話し合いますが、今まで谷野頭取に退任を求めた理由を大沢監査役にそのまま伝えれば良いですね」
と聞くと、谷本は、
「うん、それでいいよ。もうここまで来ているので維新銀行を守るためにも、むしろ大沢君から谷野頭取に自発的退任をするよう勧めてもらいたいと言ったらどうかね」
と、皮肉を言う余裕さえ見せた。
続けて谷本は、
「ここだけの話だが、明和生命の木村社長にはある程度事情を話し、21日の取締役会議は欠席してもらうことで了解を取り付けており、谷野君罷免のやりとりが直接外部に漏れることはないので安心して良いよ」
と伝えた。
それを聞いた沢谷は、
「そろそろ3時になりますので、大沢監査役に会いに行ってきます。終わり次第また報告に伺います」
と言って一礼すると、静かに相談役室を出て行った。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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