「あそこが倒産してしまったら、地元の雇用に大きな影響がおよんでしまう。何とか再生させたい」――大牟田市に身を置く政治関係者のこうした想いは届かず、YOCASOL(株)は今年2月に民事再生手続を廃止。破産手続へ移行する見通しとなった。スポンサー候補の選定が難航したためという。その背景には何があったのだろうか。
<期待背負って再出発も世界不況に飲まれる>
太陽光パネル製造を手がけるYOCASOL(株)は2007年7月設立当時、大きな話題となっていた。その理由は、(株)ドーガン・アドバイザーズの子会社(株)ドーガン・インベストメンツが運営する「九州事業継続ブリッジ投資事業有限責任組合」(以下、九州ブリッジファンド」)の第1号投資先として、従業員自らが事業買収(Employee Buy-Out、EBO)というかたちで地場産業および雇用が守られたからだ。
YOCASOLの前身は、1967 年7月に創業された、太陽電池モジュール専業メーカー(株)MSK(現・サンテックパワージャパン(株))の福岡工場だった。結晶系から薄膜系まであらゆる太陽電池セルをモジュール化する技術に定評があり、長年大手メーカーに対してOEM供給していた。
06年8月、中国のサンテック社がMSKを買収。生産合理化の一環として、福岡工場で手がけていた発電用パネルの生産を中国に全面移管する方針を固めた。
大牟田市産業振興担当部長として同工場を誘致し、市を早期退職して工場長を務めていた田嶋教弘氏をはじめとする工場従業員らが、「この職場を守りたい」という想いからEBO実現に向けて奔走した。
出資者となった九州ブリッジファンドは、(独)中小企業基盤整備機構の「がんばれ!中小企業ファンド」のスキームにより組成されたもの。ファンド総額48 億円のうち、有限責任組合員として中小企業基盤整備機構が半分を、残り半分を九州の有力地銀5 行(鹿児島、十八、筑邦、西日本シティ、肥後)と無限責任組合員であるドーガン・インベストメンツが出資していた。これに大手商社の丸紅(株)も加わり、九州ブリッジファンドが議決権76.23%、丸紅が14.99%を有することになった。
これで資金調達、海外向け輸出販売の両面で、再操業は良好な船出だったかに見えた。
地場経済再生の象徴としての期待を背負って再出発したYOCASOLだったが、現実はそう甘くなかった。08年9月にリーマン・ショックが発生。世界が不況に陥り欧州市場の需要が停滞すると、同社にもその影響が直撃した。販売商品の大量返品や過剰在庫の早期処分などで、販売単価が大幅に下落。売上高が09年3月期の約79億円から翌期には約27億円まで落ち込んだ。
11年3月には、西日本シティおよび日本政策投資銀行に対し、借入金の元金返済を停止し利払いのみにとどまるようになる。さらに、旭化成(株)を引受先とした2億円の第三者割当増資や九州ブリッジファンドの借入金3億6,000万円のDES(債務の株式化)などで、財務面の強化を図ってきた。
しかし、熾烈な太陽光パネル開発競争が世界的に繰り広げられ、海外の太陽光パネルメーカーが相次ぎ破綻するなど、取り巻く環境はいっそう厳しくなっていった。また、08年7月にセルの長期供給契約を結んでいたドイツのQ-cells SE(12年4月経営破綻)より、契約義務を履行していないとして7,000万ユーロの請求を受ける紛争が勃発。12年3月末に50万ユーロを支払うことで和解(民事再生時点では未払い)するなど、一部トラブルも抱えていた。
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<COMPANY INFORMATION>
■YOCASOL(株)
代 表:市來 敏光
所在地:福岡県大牟田市四箇新町1-5
設 立:2007年7月
資本金:3億8,000万円
■(株)ドーガン・アドバイザーズ
代 表:森 大介
所在地:福岡市中央区大名2-4-22
設 立:2004年8月
資本金:3,300万円
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