木下取締役から人の道に外れると言われ、返答に窮した原口は何も答えることはできなかった。さらに木下が、
「確かに僕は、谷本頭取から指名を受けて取締役になり、谷本頭取には僕も恩はある。しかし今回谷本相談役が中心になって引き起こした『谷野頭取交代』の要求には、大義がなく、まさに私闘そのものですよ。原口取締役、もう一度良く考え直したらどうですか」
と説得しているうちに、やがて電話は一方的に不通になった。『良心の呵責に苛まれた』のかどうかわからないが、その後木下が原口の携帯に何度電話をしても、電源は切られたままであった。
後日、維新銀行は「谷野頭取交代劇」を当局に安堵してもらう見返りに、倒産寸前の第二地銀「みやじま銀行」の救済を引受けることになる。木下が言った通り、『裏切り者のレッテル』を貼られた原口は、維新銀行を追われるように、『みやじま銀行の頭取』として転出することになる。
その日の朝、谷野から非常事態を知らされた北九州本部長の石野は、4時前に維新銀行本店の地下駐車場に着いた。石野は話し合いが何時に終わるかわからないため、運転手に、
「待たなくて良いです。迎えに来なくてもいいですからね」
と声をかけて、谷野の待つ頭取室に向かった。
頭取室のドアをノックすると、
「どうぞ、お入り下さい」
と谷野の声が聞こえた。既に応接室に腰を掛けて待っていた谷野は、秘書室にコーヒーを2杯持ってくるように連絡を入れた。谷野は運ばれたコーヒーを石野に勧めながら、入口のドアにロックを掛けに行った。
2人だけになった谷野は、7日の取締役会議後、沢谷専務と吉沢、北野、川中の三常務が、この応接室で谷野に取締役再任の辞退を求めて来たこと。もし応じなければ取締役の過半数を確保しているので、経営会議と取締役会議で再任に反対する動議を提出すると脅して来たこと。沢谷達を後ろでコントロールしているのは谷本相談役と第五生命の山上正代で、その指示を受けて動いているのが、先程話の出た沢谷たち4人と松木、大島、原口を加えた組合出身の取締役7人、それに谷本と同窓のS大グループの栗野会長と古谷取締役の2人、併せて9人が再任に反対するメンバーであること。15日の土曜日にも4人が自宅に訪ねてきて再度退任を迫って来たこと。今回退任を迫って来た9人は、谷本相談役の指示で第五生命の山上正代の保険勧誘に協力していたことが、『第五生命のアンケート調査』によって明らかになったことなどを説明していった。
谷野から話を聞いた石野は、
「だいたいわかりました。お話から推測すると、彼等はかなり前から用意周到に計画していたようですね。もう少し早く気付いておれば、何らかの対策は打てたかもしれませんが、そこまで彼らが工作していたとすれば、今からこの事態を我々が覆していくのはかなり厳しいかもしれませんね。」
と言って、大きく溜息を吐いた。
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