<診療報酬を証券化して2,000億円調達>
徳田虎雄氏は発想も行動も桁外れ。医療界に地域医療という新風を吹き込んだ風雲児である。「離島に病院を建てるためには政治力が必要」として政界に進出したが、政治家には向いていなかった。それでも、ただ者ではないことを見せたのが、病院経営の手腕だ。
2004年当時、徳洲会は1,300億円の借金を抱え経営危機が囁かれた。この危機を乗り切った徳田氏の手法は天晴れといってよい。当時、徳田氏は病に倒れていたが、彼が意思決定をした。全事業を証券化し、英国の大手銀行ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)から2,000億円を調達したのだ。
この時使ったスキームは事業証券化と呼ばれる。徳洲会は将来にわたって得る診療報酬を証券化して、特別目的会社(SPV)に売却する。SPVは、これを担保にRBSから融資を受ける。徳洲会は将来の診療報酬を担保に間接的に資金を借り入れた。
2,000億円の融資を得た徳洲会は、銀行からの借入金1,300億円を全額返済。残り700億円で、静岡、茨城、神奈川、東京、大阪、京都で病院を建設していった。これほど大規模の証券化は国内で初めて。
凄いのは、この後。RBSをさっさと切り、日本国内の金融機関に乗り換えた。借入金を全額返済されて、泡食っていた金融機関からは、有利な条件で融資を受けることができた。まことに鮮やかな手口だった。
<子どもに絶対的な権力を振るう家父長>
徳田虎雄氏に以前、何回か講演を聞いたことがあるが、氏の原点は鹿児島県徳之島での幼児体験にあることがわかる。実弟が病気になり容態がおかしくなった。徳田氏が小学校の3年生だった。医師を訪ねても来てくれない。こうして弟を失ったことをきっかけに医師を志した。猛勉強して大阪大学医学部に入り、救急医療の旗印を掲げた。弟の死のくだりになると、あのギョロつかせた目にうっすらと涙を滲ませる。肉親にはことのほか情が深い。
虎雄氏は2男、5女の子沢山だ。虎雄氏が帰宅すると、子ども全員が正座して「おかえりなさいませ」と出迎える。家族から、そんな扱いを受けたことのない戦後派はたいてい仰天する。虎雄氏は、戦後の日本で絶滅した家父長制を体現した人物だった。
家父長制とは、家族におけるいっさいの秩序が、家父長がもつ専制的権力によって保持されている家族をいう。妻や子どもに対して、絶対的な権力をふるう。長男、長女をはじめ7人の子どものうち5人が医師。二男が父の後を継いで政治家になった。子どもたち全員は徳洲会グループに勤める。彼らの夫や妻もファミリー企業のトップだ。虎雄氏が、子どもたちの人生すべてを決めて、子どもたちが異議を挟むことはなかっただろう。
徳田虎雄という家父長が、一族郎党を養っている徳洲会という組織は、徳田氏の求心力が低下した時が最大のリスクだと判断した。だから、今回の内紛報道に、さほど驚きはなかった。公益性の高い医療法人グループに脱皮するには、徳田ファミリー支配の見直しは避けて通れないだろう。
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