1人は、市政においてSNSの利用を積極的に進めるなど、既存の枠にとらわれない自由な発想を持ち込み、市長の立場から地域変革を推進している佐賀県武雄市長の樋渡啓祐氏。もう1人は、世界的に著名な建築家であり、日本、海外を含めたさまざまな都市計画などのトータルプロデュースも数多く手がけている有馬裕之氏。いずれもフィールドは違えど、地域をダイレクトに世界へとつなげていこうとしている2人だ。今回、これからの地域のあり方についての対談を行なった。
有馬 自治体といえば、今、「メガシティ」という概念が日本を進行しています。ですが、たとえば福岡なんかはどんどん人口が膨らんでいると言いますが、実際に流入してきている若者たちはほとんど働いていません。ということは、これは実際の生産に直結していない人口増大ですよ。
でしたら、地域で生産に直結する人口を、小さくてもいいから増やすやり方をしなければなりません。
樋渡 そうです。ですから、武雄市には今、起業家が移り住んで来ているんですよ。その起業家たちは目が肥えていますから、その人たちが「住んでいいな」というものを、僕らはつくらなければいけません。そういったことを、僕は市役所を率いる立場で、自分の意思を最大限投影できますから、市役所ではできるんですね。
有馬 しかも恐縮ながら、モデルとしては一番やりやすい規模です。
樋渡 やりやすいんですよ。ですから、「武雄でもできるでしょ」って。プラスα、武雄でやるということは、他の首長は言い訳ができないんですよ。「武雄でやっているのに、何でできないんだ」と。首長はみんな、「今まで前例がない」とか言い訳をしますが、その言い訳を通用させないようにしようと思っています。
有馬 逆に言えば、東京とか福岡とかのメガシティは、なくなりはしませんが、崩壊を始めるかもしれませんね。
樋渡 もともと福岡でも、手に届く範囲がコミュニティだったわけじゃないですか。目に見えるとか、あの人はどこに住んでいる、とか。ですが、それがどんどん合併したりとか、政令指定都市になって薄れていきました。やはり、目に見えるところがコミュニティなんです。そうすると、福岡は再分割すべきなんですよ。目に見えるところに決定の権限を与えれば―ですから、合衆国にすればいいんですよ。
有馬 「環境単位」という言葉があるのですが、そのゾーン―たとえば、1km四方でもいいですから、それぞれがちゃんと目が届く範囲でつくりあげていかなければなりません。
樋渡 そう思います。ですから、再分割すべきです。僕はこれからのキーワードは、「再分割」だと思っています。道州制なんて、愚の骨頂です。道州制なんてやると、ますます政治とか行政が離れていきますよ。
有馬 僕もまったく同じ意見です。効率を目指して大都市だけに集中させて、あとはみんなインターネットのワケのわからない端末をもらって、会話もなく――ということになりかねません。
樋渡 やはり、顔を合わせることがポイントなんですよ。思うに、多様性がなくなってしまったというのが、今の地方の衰退の最大の原因です。それを僕は再構築しようと思っています。それを、一般の人が目に見えてわかるようにしなければならないですよね。それは、個人の住まいもそうですし、公共施設もそうです。
有馬 ですから、東京につくっても意味がありません。地域にこそつくるべきです。
樋渡 そうです。そして、武雄市みたいなところが日本のあちこちに増えると、面白くなるんですよ。
有馬 まさに、そうです。たとえば、各家に鶏がいるとか、豚がいるとか、地域こそできる価値ですよ。東京じゃとてもできません。
樋渡 それはいいですね。ぜひ市役所でやりましょう。鶏がいる市役所。昔は、この地域はどこの家も鶏を飼っていたんですから。そういったものが物語性ですよね。
有馬 それこそ、造園と合体しているでしょ。その生産と、かっこいいものを合体させたい。
樋渡 そうですね。市役所も朝の6時過ぎから「コケコッコー」って、幸せなところですよ。でも、そういうのはあった方がいいですね。やはり、音が聞こえるっていいですね。先ほどおっしゃっていた、物語ですよ。
有馬 それは最高じゃないですか。でも、象徴的な話ですよね。意味が凝縮しています。
樋渡 鶏は面白いですよね。市役所で飼って、庁舎の庭で放し飼いにしましょう(笑)。
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<プロフィール>
樋渡 啓祐(ひわたし・けいすけ)
1969年、佐賀県武雄市生まれ。武雄高校を経て東京大学経済学部卒業後、93年に総務庁人事局(現・総務省)に入庁。総務庁長官官房総務課、沖縄開発庁振興局調整係長、内閣官房主査、内閣中央省庁等改革推進本部事務局主査、内閣府参事官補佐、総務省大臣官房管理室参事官補佐、高槻市市長公室長、総務省大臣官房秘書課課長補佐などを経て、05年に総務省を退職。06年、当時全国最年少の若さで武雄市長に就任した。08年にリコールを受けて辞職するも、出直し選挙で再選を果たした。
<プロフィール>
有馬 裕之(ありま・ひろゆき)
1956年、鹿児島県生まれ。京都工芸繊維大学卒業後、80年に(株)竹中工務店入社。90年「有馬裕之+Urban Fourth」設立。さまざまなコンペに入賞し、イギリスでar+d賞、アメリカでrecord house award、日本で吉岡賞など、国内外での受賞暦多数。さまざまな地域活性の町づくり委員も務める。作品群は、都市計画から建築、インテリア、グラフィックデザイン、プロダクトデザインなどさまざまな分野におよび、日本・海外を含めたトータルプロデュースプログラムを展開している。
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