<住民の1割が犠牲となった閖上地区>
仙台空港から車で20分、300人の住民のうち1割にあたる740人あまりが震災の犠牲となった名取市閖上(ゆりあげ)地区に入った。豊富な海産物が水揚げされる漁港があるこの地区は、仙台市近郊で最も被害が大きく、漁港を襲った津波の高さは8.5メートルに達したという。押し流された住宅などのがれきを含んだ津波は、奔流になってたちまち閖上地区全域を飲み込んだ。
同地区を回ると、沿岸に近づくほど住宅の数が減り、住居の土台のみが残されているか、あるいは更地のままの場所が多い。いまだに震災の爪痕が色濃く残されたままとなっている。
名取市立閖上中学校では、14名の生徒が津波に襲われ犠牲となった。同中学校は、震災直後の2011年4月に同市内の名取市立不二が丘小学校に仮移転し、12年4月からは、名取市十三塚公園に建設された仮設校舎に再移転している。現在も、被災した校舎は当時のまま残されている。
<「14人を忘れないでほしい」>
校舎入口にある校訓と校歌の碑の隣に献花台が設置され、14人の生徒一人ひとりの名前が刻まれた慰霊碑が建てられている。
碑文には「平成23年3月11日 午後2時46分 東日本大震災の津波により、犠牲となった閖上中学校の生徒の名をここに記す」とある。
花と線香が手向けられており、生徒用の靴箱前には、千羽鶴が飾られていた。生徒たちが使っていた机には、同級生たちからの寄せ書き―「閖上中の大切な、大切な仲間14人が、やすらかな眠りにつける様、祈っています。津波は忘れても14人を忘れないでいてほしい。いつも一緒だよ。」
「大切な、大切な」と2度繰り返された言葉から、机を並べて一緒に学んだ友達を失ったやり場のない悲しみが伝わってくる。わが子を失った親御さんの思いはいかばかりであろうか。「14人を忘れないでいてほしい」とは、遺族や学校関係者だけではなく、私たちすべての日本人に対する切なる願いではないだろうか。
マジックで書かれたこの手書きの一文に、胸を締め付けられる思いだった。
同校を訪れ、亡くなった生徒を悼む人は、今も絶えないという。校舎を見上げると、時計の針は、地震発生直後の2時46分で止まったままだった。
閖上中から1.2キロ離れたところに、標高6.3メートルの小山「日和山」がある。学校以外、高い建造物や山がない閖上地区唯一の高台である。3月10日に行なわれる追悼行事にあわせて、閖上中から日和山まで、高さ約30センチの灯籠約5,000個が並ぶ。
「津波を忘れても14人を忘れないでいてほしい」
現地を訪れたひとりの人間として、この願いをもっと多くの人たちに伝えていきたい。慰霊碑の前で静かに手を合わせ、亡くなった生徒たちの冥福を祈るとともに、2度とこのような災害が起きてほしくないという思いを強くした。
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