<復興加速へ「まずは除染」>
被災地に完全には寄り添えなかった国の対応。「今も被災地は有事。平時の対応をしていては、復興は加速しない。平時の法律では復興は進まない。もっともやるべきことは、除染ですね。ここが進めば、一歩、飯舘の復興が前へ進む。2年ぐらいで村に戻りたいものだと言っていましたが、ようやく除染がちょっとスタートしたばかり」と、菅野村長は、危機感を募らせる。帰村に必要な除染も、土地の所有者が亡くなっていたり、技術的にも未知の部分が大きかったりと、さまざまな事情でそのスピードは遅れている。除染した土の中間貯蔵施設をどこに作るかも、まだ決まっていない。
除染が遅れれば、その分、帰村も遅れることになる。2000年に起こった三宅島の噴火災害や04年に起こった中越地震の山古志村の避難者たちで、その後に島や村に戻った人々は、60~70%にとどまっている。
飯舘村では、アンケートなどの調査で、「村にもう戻らない」という人が3割を超えているという。高齢者の間でも、若者層が村に戻らなければ、産業である農業や酪農、関連する仕事が成り立たないとの不安を感じている人も多い。除染の効果が上がり、国の定める基準の年間20ミリシーベルトを下回ったとしても、村民が納得した上で、行政に避難解除を出してほしいとの声も出ている。帰村実現には、乗り越えなければならない壁がまだまだ多い。
<「効率」よりも『までい』>
そんな厳しい状況のなか、菅野村長は、効率や経済成長を優先するよりも、スローで、つつましく生きる「までい」ライフを村民に勧めている。「までい」とは、両手という意味の東北地方、福島県の方言で、漢字では「真手」と書く。真実の手、両手そろった手という意味を持つ。「丁寧に、大切に」「心を込めて」「つつましく」という含みを持つ。
東北地方の古い方言であるこの「までい」こそ、自然と共生していく生き方だと菅野村長はいう。「戦後、効率と経済成長一辺倒でやってきたことが今、限界点に来ているのではないか。成熟社会の日本。お互いが住みよい社会を作っていくことが大切。成長だけがこれからの社会のありようではない」と、再び経済最優先になりつつある社会に警鐘を鳴らした。
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