1月27日に行なわれた北九州市議選、互いの公認候補に推薦を出し、政策協定を結んで同選挙に臨んだ日本維新の会とみんなの党。その1丁目1番地に掲げたのは、「議員定数と議員報酬の削減」であった。結果、立候補した両党の新人3名ずつ計6名が全員当選。支持をした有権者からは議会改革の実行を望む声が聞かれた。6名の統一会派は少数だが、同市議会では5人以上の会派から議案をあげることができるなど、一定の発言力を持つようになる。61議席もあり、かねてから議員定数削減を望む声が強まっていた北九州市において、その実現が近づいたかのように思われていたが・・・。
<離脱騒動をめぐり対立する主張>
期待は困惑へと変わった―。統一会派「みんなの維新」結成へ向かっていた6名のうち、市議選後初の議会となる2月議会を前にして、吉村太志市議(みんなの党、後に離党)、平原潤市議(日本維新の会)の2名が離脱。3月1日に設立された、みんなの党福岡県支部の支部長に就任した佐藤正夫衆議院議員は、同支部設立発表の記者会見で、「吉村市議は明確に会派を離脱すると発言した」と説明。票を投じた有権者に対する陳謝の意をマスコミの前で示した。市議のバッジを付け、さあこれからという矢先の出来事である。まだ何も始まっていないなかでの2名の離脱に、両党関係者ならびに北九州市民は困惑した。
関係者によると、離脱騒動の発端は、無所属で当選した中村義雄市議が、日本維新の会とみんなの党の統一会派に参加したい旨の打診があったことによるもの。今回の当選で3期目となる中村市議は、かねてより議員定数の削減を訴えており、また、制度上議案の提出ができない1人会派であったため、有効数4万7,986人の署名を集め、昨年9月、市民による市長への直接請求として議員定数削減を求めた。北橋健治市長は議案として議会に諮ったが、市議会における審議の結果、賛成1(中村市議)、反対60で否決された。
中村市議の打診に対し、「みんなの維新」6名で議論となった。中村市議が『議員定数削減以外の政策も受け入れる条件』で参加を認める賛成派が多数であったが、「統一会派は全会一致が原則」というルールに立ち、最終的に、会派代表の八木徳雄市議の一任となった。結果、中村市議の参加は認められず、その上、吉村市議、平原市議が会派を離れることとなり、2人は別に会派「地域の声北九州」を結成した。
佐藤衆議院議員の説明では「会派を離れる」と申し出たのは吉村市議とされているが、吉村市議自身はNET-IBの取材に対し、その事実を真っ向から否定した。「中村市議が信用できないという反対意見があった。それならば、みんなの党から1月9日まで公認を受けておらず、無所属であった私が、中村市議と2人で会派を組み、1年ぐらい様子を見るのはどうかと提案したが・・・。それもたとえ話で言ったつもりだ」と、吉村市議。また、平原市議は「八木代表一任となった際、賛成意見が多数であったことから遺恨のないよう判断をお願いしたが、それが失言したととられ、『あなたとはやっていけない』と伝えられた」と語る。
もう1つ、議論となったのは、議員定数削減議案の提出についてである。吉村市議と平原市議は2月議会での同議案提出を時期尚早と判断。理由は、市議になって間もない1年生議員6名が多数派を相手に実現へ運ぶためには、まず、会派の体制を整え、市議会の状況を見てからが良いと考えたからだという。しかして、提出賛成側からは「中村市議の案を参考にすればよい」との意見も出された。「なおのこと、中村市議の参加を認めるのが筋ではないか」と、吉村市議は訴えたという。
<政策の実現よりも優先されたのは「?」>
共通の目的の実現を目指すプロセスをめぐり、意見がわかれて議論となることは別段不思議ではない。しかし、その結果、会派分裂となれば他に『特別の事由』があったとしか思えない。平原市議は現在も日本維新の会に所属するが、吉村市議は、みんなの党から離党勧告を受け、「一身上の都合」で自ら離党することとなった。「佐藤衆議院議員から、離党理由に、党に迷惑をかけたことをお詫びする旨の記述を求められたが、迷惑をかけた覚えはない」と、吉村市議は憤りを隠さない。
みんなの党・渡辺喜美代表は、同党結成当初から「この指とまれ!」と、政策が一致するならば手を組む方針を前面に出し、事あるごとにそのことを強調している。「政策本位の政党」という、いわば同党のアイデンティティーは党名にも反映されている。国会においても、それぞれの政策や争点に是々非々で自民党や民主党とも組む「クロス連合」(渡辺代表)を実践。そうした『党にこだわる政党』へのアンチテーゼが、同党が一定の支持を受けている理由ではないだろうか。吉村市議が、政策に賛同する条件で中村市議の参加を認めるとする以上、党の方針に忠実であったように思える。
日本維新の会・平原市議もまた、「1人でも多く仲間を増やす」という党の方針に忠実に従ったと言えるだろう。同党の出発点である地域政党・大阪維新の会は、松井一郎幹事長(現大阪府知事)をはじめ6名の大阪府議で結成された。以降、他党から加わる地方議員を次々に受け入れ、選挙で新人議員を増やし、一大勢力を築いたのである。もちろん、新加入の際は、党の政策に賛同することが絶対条件である。
佐藤衆議院議員は、3月1日の記者会見で「『6人でやる』と選挙で訴えてきた」と、まるで会派の人数の変動が公約違反かのような説明を行なった。多数決が原理原則の民主主義において、その考えを理解できる者がいるだろうか。票を託した有権者が望むのは公約の実現であり、極端な話、「みんなの維新」という会派の存続ではないはずである。
以上の経緯から、両党が「政策本位」を掲げる以上、まだ何も始まっていない段階における「みんなの維新」からの2名離脱は、まったくもって不可解としか言いようがない。日本維新の会関係者からは、「意見が対立したら追い出される。まともな議論もできないようでは、一緒にやることなど到底期待できない」といった声があがる。
過去最低の投票率41.95%だった北九州市議選で、投票所に足を運んで想いを託した北九州市民は、この一連の経緯をどう見るだろうか。不可解な経緯で分裂することとなった「みんなの維新」だが、議員定数削減という共通であったはずの目的は、それぞれまだ捨ててはいない。4年の任期における各人の働きで真価が問われることになる。
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