<第二の故郷・細島港とは>
西村代表は故郷・諸塚村から事業の拠点を日向市日知屋に移した。この日知屋に面しているのが、細島港である。この港の繁栄と共にコーソクグループは発展していた。言葉を換えれば【第二の故郷となった細島港によって事業基盤が形成されたのだ】となる。その恩返しすべき細島港において≪今後、想定されている南海トラフ地震においては大被害がでる≫と警戒情報が流れているのだ。地元の人達の反応は素早い。
予想される最悪の被害地区は静岡県、三重県、高知県、宮崎県である。その宮崎県のなかでも、日南市油津港と宮崎市大淀川河口と細島港などは最大級の打撃を浴びると言われている。事務所のある日知屋地区では高台での建設ラッシュが始まっているようだ。西村代表も「来るべき大震災、大津波に対して被害を食い止めるためのインフラ整備に尽くしたい」と語る。コーソクの関連建築会社では高台に自宅建て替えの工事を受注したそうだ。
出典【ウィキペディア】によると下記のように記述されている。
細島港(ほそしまこう)は宮崎県日向市大字細島、竹島町、船場町、大字日知屋周辺に広がる港湾である。港湾管理者は宮崎県。港湾法上の重要港湾(重点港湾)、港湾法上の特定港に指定されている。古くから利用されてきた細島商業港(漁港)とその北方約1キロメートルの位置に増設された細島工業港および白浜港からなる。
商業港は東へ開けた入り江の奥にあり、港を囲むようにして南北に半島が突出している。細島港は宮崎県では唯一税関支署(門司税関細島支署)が設置されている港湾であり、海外(韓国の釜山港や台湾の基隆港、高雄港など)と国際定期コンテナ船が就航している。宮崎県では、この細島港がただ一港だけ定期国際航路を有しているのである。
<戦前から重要港>
1964年までに竹島築港(現工業港)では約150haの工業用地を埋め立てて造成されている。これが、日向・延岡地域が1964年に新産業都市に指定される推進力になった。また細島港は延岡の旭化成の工場稼働には物流の面では大きく貢献した。新産業都市として指定された工場団地にはあまり期待したほどの企業進出はなかった。そこで旭化成が地元の御縁ということで工場団地の一部を購入した。1971年には宮崎カーフェリーが神戸航路を開設するなど段々と整備が進んだ。
細島港の歴史を紐解くと戦前からの由緒ある役割をしていたことがわかる。江戸時代の初期は延岡藩の管轄にあったが、江戸幕府の直轄(天領)となった。江戸時代は大阪へ向かう重要港の機能を果たしていた。明治時代には1894年に近代港の装いが為されて始めた。第二次世界大戦においてはエネルギー港としての役割を捨てがたいものがあった。爆撃を受けて壊滅的な打撃を浴びたのだ。戦後の細島港の躍進は古い蓄積があってこそ成立したのである。この海上物流拠点でビジネスを開始したからこそ、西村代表は事業運を掴んだのである。
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