1,900軒の飲食店が軒を連ねる西日本一の歓楽街・中洲。そのうち1,300軒は接客サービスが主体のスナックやクラブといった飲み屋である。「支店経済で発展した」と言われる福岡市は、転勤族や出張客が多く、数え切れぬ出会いと別れ、そして再会が、中洲の夜を彩ってきた。高度経済成長期にオープンした歴史ある店の間では、経営者や常連客の引退にともない、店を閉めているところが増えている。その一方で、中洲に夢を抱き、新たに店を開く若い経営者も少なくはない。今春、中洲の街には、新たなはじまりを感じさせる若い桜が花を咲かせていた。
「お客さんが呼び込めるいい方法はありませんか?」と、29歳のスナック店長M氏は頭を抱える。彼は、今年の1月脱サラをして、夜の中洲へ飛び込んだ。オーナーに資質を見込まれて店長に抜擢されたが、水商売は未経験というまさに「1年生」。手探りで店を切り盛りする傍ら、ほかの店に客として訪れながら勉強をしている。さすがに未経験ばかりではまずいので、水商売の経験がある女性スタッフ数名が脇を固めるが、店づくりの中心はM氏。同じく未経験の新人スタッフへの指導もうまくいかないという。
M氏の相談を受けた他店のベテラン店長はいう。「自分はボーイから始めて、15年やったぐらいから、ようやく最近になってわかってきた。あせらず、じっくりとまずは店に足を運んで来てくれた目の前のお客さんを大事にして、店を守らんとね」と。店づくりは決して店側のひとりよがりなものであってはならない。お客さんも一緒になることが大切だという。客がいて初めて始まる水商売。中洲に訪れるお客さんもまた、中洲の主役であることを忘れてはならない。4月からは新たに社会人となった若者たちも訪れるだろう。客の世代交代とともに、中洲の有り様も変わっていくかもしれない。
中洲大通りに花開いた若い桜は、中洲で商売をする経営者らが中心となって植樹した。2011年、多くの飲食店や商店が加盟する中洲町連合会のなかに「桜de笑顔プロジェクト実行委員会」を設立。発案者は、親子3代で老舗の名店「航空スタンドバー リンドバーグ」のママを務める藤堂和子さん(同実行委員会副委員長)である。藤堂ママは、約40年間、中洲で店を切り盛りし、現在では高級クラブ「ロイヤルボックス」の経営も行なう中洲の実力者だ。昔、転勤や出張で来店していたお客さんたちが出世し、大勢の人を店に紹介して現在に至っている。
植えられた桜には、中洲で商売をしてきた人たちの街への恩返しの想いが込められている。将来的には、明治通りから昭和通りの間、そして、中洲に隣接する那珂川沿いの公園にも植えられ、合計100本を目指しているという。10年後も20年後も、その後もずっと、人も木も、若い桜が満開の花を咲かせ、多くの人通りでにぎわう街であって欲しいと切に願う。
長丘 萬月 (ながおか まんげつ)
福岡県生まれ。雑誌編集業を経て2009年フリーに転身。危険をいとわず、体を張った取材で蓄積したデータをもとに、「歓楽街の安全・安心な歩き方」をサポートしてきた男の遊びコンサルタント。これまで国内・海外問わず、年間400人以上、10年間で4,000人の歓楽街関係者を『取材』。現在は、ホーム・タウンである中洲(福岡市博多区)にほぼ毎日出没している。
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