高経年ビルの活用と地域活性化を狙って2011年6月にオープンした「メルカート三番街」。クリエイターや学生が集い、まちづくりの新たなかたちとしても注目を集めつつある。しかし、12年12月、隣家からの出火によって被災を余儀なくされた。火災に負けてなるものかと、復旧と次の一手に奮闘する経営者達の取り組みにスポットを当ててみたい。
<自ら踏み出した実験的まちづくり>
ほとんどの若い起業家は、限られた資金のなかでスタートを切らざるを得ない。そのためインキュベート施設では、入居者負担の軽減措置が取られているケースが大半だ。もちろん、入居者負担の軽減は、家賃収入の減少とイコールである。利潤を求める民間企業では、公的補助なくして運営は難しく、インキュベート施設の大半を公的施設が占める背景となっている。
「メルカート三番街」の場合、入居者に敷金・礼金を課さず、賃料も平米単価2,000円と格安。しかも、個々のスペースを15~40m2程に抑えることで、起業家1人あたりの負担を最小限に抑えながら、多くの若者が起業に挑むことができるような制度設計がなされている。民間インキュベート施設でよく見られる賃料の公的補助制度は導入されておらず、あくまでビルオーナーがすべてを負担する純然たる民間インキュベート施設として稼働している点が特徴的だ。この点につき、「中屋ビル」のオーナーである梯輝元氏((株)中屋興産代表取締役社長)は、「魚町の再興を最優先に考えた末の制度設計だった」と明かす。
実は、「中屋ビル」には、従来から建て替え話が持ち上がっていたという。祖父の代から商店街の顔役を努める梯氏は、魚町商店街振興組合の役員として活性化の旗を振る1人。幼少期を過ごした「人でごった返す魚町」を取り戻すべく、建て替えたビルに新たな「賑わいスポット」をつくろうと、設計図面まで引いていたそうだ。しかし、周囲を見渡せば、商店街には軒並み築数十年を経た古ビルが並んでいる。新築ビルであっても、いつかは老朽化して陳腐化してしまうだろう。いっそのこと視点を変え、古いまち並みやビルだからこそ人が集まる仕掛けをつくれないものだろうか...。このような発想に体系的な理論をもたらしたのが、市主催のまちづくり講座で出会った清水義次氏((株)アフタヌーンソサエティ代表、東洋大学客員教授)の提唱する「現代の家守(やもり)」という発想であった。清水氏の「家守構想」に我が意を得た梯氏は、建て替え計画を棚上げして従来の方針を転換。まちづくりのための実験ともいうべき純民間インキュベート施設の開設に舵を切ることになる。
<「メルカート」(市場)に込めた変化への願い>
ここで「家守」とは、江戸時代における長屋の大家を指している。単なる借家管理や家賃徴収のみならず、借家人の生活の面倒、揉め事の仲裁、神事や祭りの世話などを手がけていた「家守」は、いわば地区マネージャーのような仕事をこなしていたとされる。町を活性化させるためには、「新しい力」を呼び込む必要があるが、そのためには地域を取りまとめる人間、すなわち現代版の「家守」が欠かせない、というのが提唱者である清水氏の考え方だ。加えて、東大工学部都市工学科出身の清水氏は、古い町はそれ自体に価値があると指摘する。古いビルにも古いビルなりの価値があり、用途や機能を変更すれば建物の性能を向上させることができるというのだ。潜在的な町の魅力を掘り起こしながら、既存の建築物にはそれに沿った手直しを施すことで、まち並みと高経年構造物のいずれをも再生させる取り組み。ビルオーナーに対し、まちづくりの当事者(「家守」)となるべき覚悟を求める点で、単なる流行の「リノベーション」とは一線を画す考え方と言えよう。
「家守」となる決意を固めた梯氏は、その後、地域に呼び込むべき「新しい力」をどこに求めるべきかに考えをめぐらすことになる。小倉駅周辺は北九州市きってのビジネス街であり、なかでも商店街はその集積地。そうであれば、ビジネスを基調としたまちづくりが望ましい。加えて梯氏は、ビルオーナーの顔とは別に司法書士としての顔も持つ。登記事務をはじめとして法人設立に深くかかわってきた自身の経験を、起業家の育成に役立てることができるのではないか。
ターゲットを起業家に絞った同氏は、これを「魚町サンロード商店街カルチェラタン計画・魚町R計画」として策定。起業家支援の理念を同じくする嶋田洋平氏(らいおん建築事務所)や遠矢弘毅氏(カフェカウサ)の協力を得て、11年6月、純民間インキュベート施設「メルカート三番街」の開業にこぎつけた。「メルカート」とは、イタリア語で「市場」を意味する。「起業家たちが生み出したモノ、サービス、情報がこの場で行き交い、新たな化学変化を起こして欲しい」――そんな願いが名称に込められている。
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