第2章 福岡市政を私物化した我欲、華々しい経歴から垣間見えるもの(前)~ファクト(株)
調査報道サイト「HUNTER」が連日、福岡市特別顧問の民間会社社長・後山泰一氏について報じている。周囲の企業経営者らからは、"物腰の柔らかい好青年"と評判の後山氏であったが、同サイトによって、市の業者選定などでさまざまな疑惑が浮上している。好青年から一転、渦中の人となった後山氏とは、一体どのような人物なのか。後山氏の経歴から現在に至るまでを調べてみた。
<学生起業家だった後山氏>
後山氏が代表を務める会社名は「(株)ファクト」。2009年11月に設立した、広告代理店および経営コンサルティング会社である。福岡県出身の後山氏は地元の高校卒業後、東京の名門・中央大学に進学した。大学在学中から学友らと学生ベンチャー企業を立ち上げ、卒業後もその仕事に携わっていた。しかし、2000年に入り、親族が営む会社で不祥事が発生。その会社の株主だった母親を気遣って帰福した。後山氏自身はその会社に入社し、経営再建に協力したい意向を持っていたが実現はせず、福岡県内で就職することになった。
入社したのは(株)アイ・ステーション(福岡市博多区、松本智彦社長)。01年12月、日本初のテレビ番組表付きフリーペーパー「アイ・ビジョンプレス」の発刊で話題となった会社だった。後山氏は同社の編集長として辣腕を振るったほか、06年7月には斬新なレイアウトを用いた「STATUSdesign」を発刊。当時、フリーペーパーの数が日本一と言われた福岡県において異彩を放つ編集者として一目置かれた時期もあった。その後、アイ・ステーション社の松本社長と方向性の違いから、08年に同社を退社。ファクトの創業、設立に至る。
<独立後パルコ事業にも参画>
後山氏は独立後、10年3月に福岡市中央区天神の西鉄福岡天神駅横の旧岩田屋本店のビル跡にオープンした福岡パルコの「みんなのパルコ編集部」の編集長に就任し、同店のPR業務を手がけた。現在はフリーペーパーの「BOND」の編集アドバイザーとして参画したほか、広告代理業のほか、イベント企画、経営コンサルタントといった幅広い事業を手がけていると見られる。
また、フリーペーパーの編集長という職位を歴任する傍らで、07~09年までの3年間、RKB毎日放送番組審議会審議委員を務めたほか、07年にはJNN放送文化大賞九州地区審査員、08年にアジア交流広域都市調査検討委員会委員を務めた。08年9月には、財団法人福岡国際交流センター後援による若者文化交流事業「asianbeat」のプロデューサーとして「ヂカギキ」プロジェクトを成功させた経験を持つ。福岡にいながら"凄い人にヂカに話をキク"という福岡の若者意識覚醒プロジェクトとして、現在も事業は継続されている。後山氏は編集長のほかメディアプロデューサーという肩書も有し、福岡のみならず全国規模のメディアにも精通する人物として知られるようになる。
これら華麗なる経歴により後山氏は、10年12月、市長選に当選したばかりの髙島宗一郎氏の福岡市・広報戦略アドバイザー職を兼任することにつながった。
<COMPANY INFORMATION>
(株)ファクト
代 表:後山 泰一
所在地:福岡市中央区大名1-12-26
設 立:2009年11月
資本金:500万円
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