――言葉の壁は、どの企業でも苦労されてますね。
黒川 まず、現地で日本語や英語は通じるのか、を確認しなければなりません。日本語や英語はあまり話せそうにない、となると、現地の通訳に頼らざるを得ませんが、ハノイやホーチミンシティのような大きな街と違い、フエでは語学に堪能な人材をいきなり採用することは難しいのです。ですから、弊社で日本語学校卒業者を通訳候補者として採用し、長い目で見て養成していくしかありません。とくにベトナム中部地方は保守的な地方ですので、時間がかかります。「こちらの言いたいことがどこまで正確に伝わっているのか」、「細かい部分のニュアンスがきちんと伝わっているのか」に気を使い、養成しています。私はいまだに通訳を含む現地のスタッフには、噛み砕いた日本語で、ゆっくりと、できるだけわかりやすいように話かけ、言い方を変えながら何度も話すようにしています。たまに日本に帰国すると、家族から、「話し方が変わった」「ゆっくり過ぎる」などと言われますよ(笑)。
人の問題にしても、「相手をどこまで信用して、どの範囲まで権限委譲していいのか」と悩みます。ベトナム人だからとか、日本人だからとかは別にして、結局、人間関係というのは、万国共通で、人と人の付き合いのなかで自然に形成されていくものですから、これも時間がかかりますよね。
――まさに忍耐勝負。郷に入れば郷に従えでしょうか。
黒川 最初の頃は、「日本のやり方がいいんだ」と言い切ろうとしたこともありました。しかし、ある時点から、ふと肩の力が抜けたと言いますか、「そうなんだ、ここはベトナムなんだ」と思えるようになってからは、私の考え方が変わった気がします。ベトナム人の考え方も理解できるようになりましたし、最近では、「日本が異質なんだ、異常なんだ」と思うようにもなりました。時間の流れ方をはじめ、文化や根本的な考え方が違います。現在は、日本的なやり方を一方的に押し付けるということは決して行なわず、お互いの違いをきちんと認識した上で、考え方に共通の素地を作り、ベトナム人と同じ目線で考えています。「同じ釜の飯を食う仲間だ」ということを大事にして、今後も相互信頼のもとやって行きたいと思っております。
――最後に、今後の展開を教えて下さい。
黒川 将来的には、夢は大きく、ベトナムで一番のアルコールメーカーに、そしてあらゆる意味で一番の会社になりたいですね。まだまだそういう大きなことを言える段階ではありませんが、ベトナムという国に、そしてフエという地域にしっかり根付いて、ベトナムのローカル会社として、まずはフエ市で一番の会社、そしてフエ省で一番の会社、それからベトナム中部で一番の会社、という風に成長していきたいと思っております。
――ありがとうございました。
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