九電工の現社長・橋田紘一氏が、九電常務に就いていた頃のエピソード。
同氏は修猷館高校出身ということもあり、対外的な顔の広さは九電内では随一であった。橋田氏に対しては、外部からの強い『九電社長就任へのラブコール』が高まっていたが、残念ながら諸般の事情で、社長レースにおいて一敗地にまみれた。橋田氏の例は、九電・西鉄における『会社の外交マンは社長にはなれず』のルールが適応されたのである。
橋田氏は2007年に九電工の社長に就任したが、ソツのない経営策を講じてきた。東京本社を開設したりして、九州外での営業力の蓄えを主眼にしてきたのだ。その腹のなかでは、「親会社の九電に頼っているばかりならば、九電工の将来性はない」と覚悟を決めていた。
その読みは見事に的中し、2011.3.11の『東日本大震災』以後の動きで、立証された。現在、親会社・九電は倒産寸前の危機に陥っている。子会社・九電工の面倒を見る余裕など、皆無だ。「勝手に自力で生きてくれ!!」というのが、九電の本音である。
その元勤務先の九電の意向を汲んだ橋田社長は決断した。「九電工が独立独歩、生きていくためには、自前の営業力を倍増しなければならない。従来の『九電から順送りの社長ポスト確保』からオサラバだ」という親離れの英断である。
今回、発表された次期社長の西村松次氏は、生え抜きで、長年営業畑を歩いてきた人物。2012年には取締役副社長執行役員に就いている。"もう親には頼れない"という覚悟は、じつに頼もしい。
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