16日、最高裁第3小法廷は、水俣病認定に当たっては、四肢末端の感覚障害、運動失調、平衡機能障害などいわゆる「昭和52年判断条件」のうち複数の症状が認められない場合であっても、経験則に照らして諸般の事情と関係証拠を総合的に検討したうえで、水俣病と認定する余地はあるとの判断を示した。
表は、16日の2件の裁判の概要を示したものである。これを見ると、申請からのあまりに長い日々に気が遠くなる。最初の申請から40年近くも経過し、ともに最高裁判決時点では申請者は死亡している。もし、自分や家族が同様の立場に身を置くということを想像してみると、誰しも耐えられない思いがするのではなかろうか。
福岡高裁で第202号の原判決が出た際、当時の細野環境大臣は、「対応が果たして被害者の皆さんや患者の皆さんに温かいものだったのかということについてさまざまな反省が必要なのではないか」としつつも、「一義的な責任は熊本県が負っている」、「認定の基準そのものについては、否定するものではないと解釈している」との考えを示していた。
今回、両判決では、いわゆる「昭和52年判断条件」(昭和52年7月1日、関係都道府県知事・政令市市長宛てに出された通知に示された後天性水俣病の判断条件)が求めていた複数の症状がない場合であっても水俣病と認定する余地があることをはっきりと認めた。これに伴い、これまでの政府の認定基準では水俣病患者と認定されない人のなかからも認定され得る人が出てくることが予想される。これまで水俣病と認定された人は、約3,000人にとどまっているが、今回の判決を契機にどのような展開になるかが大いに注目される。
ところが、裁判の当事者である熊本県や水俣病対策に責任を持つべき立場にある政府の動きはあまりにも鈍い。以下は、熊本県、首相官邸、環境省の17日午後時点でのHPである。これだけ重要な最高裁判決が出され、水俣病の認定基準について急ぎ検討を行なうべきにもかかわらず、HPにはコメントなど判決に関係する情報はいずれも掲載されていない。
それぞれの広報を担当する部署に確認したところ、その問題を担当する原課などによって掲載が必要と判断された情報があれば、随時変更を行なっているという。昨日の水俣病の認定基準に関する最高裁判決、そしてそれに対する対応について、急ぎ国民に伝えるべきという判断がなされていないということに対しては、強い怒りを感じる。政治の世界に身を置いている人たちが自らの鈍感さに気がついていないというのは、致命的である。
樋渡武雄市長が言っているような「レスポンス能力」というものが、水俣病の行政側の関係者には欠けている。「小泉元首相のような研ぎ澄まされた政治感覚は安倍首相らにはない」と言われても仕方がない。
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