<説明責任果たさず沈黙するサンリブ>
一心同体に近い間柄から突然の絶縁に至ったのはなぜか――。M社側にサンリブの態度を硬化させる要因はなかったのか。
M社は騒動の直前、サンリブに融資を打診したことを明らかにしている。一連の引き抜き行為や役員退任通告は、その数日後に始まった。タイミング的にはこれが直接の引き金となったことは想像に難くない。この件についてM社は、「融資依頼は売掛担保によるもので回収リスクはない」と説明する。そもそも現実には資金調達の必要はなく、融資を受けるつもりはなかったという。ではなぜそうした提案をしたのか。
「サンリブさん側に生鮮の担当者不在状態が続き、年々意思疎通が図りにくくなっていた。そうしたなかで鮮魚の直営化を模索していることは感じていた。事業の将来像を描くにあたり、我が社への位置づけや処遇を図るにはこれしかなかった」という。
本意でない依頼をした手法に対するM社への批判は否めない。また、取締役の変節を見抜けなかった管理面の課題もある。しかし、これによりテナント切り捨てというサンリブの真意は明確になった。のみならず役員引き抜きという背信行為で応酬した。M社は取締役を失うことに加え、義兄弟の相克が生じることになった。
かつてのサンリブと各テナントの結束力は伝説的であった。経営陣は社員に「テナントさんを大事にせよ」と徹底し、テナントはその期待に応えようと奮闘する。そうした相乗効果が一時の隆盛をもたらした。
その後、業界環境が変わったことはたしかである。ディスカウントストアやドラッグストアの台頭に加え、中央大手が地場小売業界に参入するなかでデフレが長引いた。総合力で勝負するサンリブが守勢に回って久しい。良好な人間関係だけで業績が上がる時代ではなくなったことから、サンリブ・テナントともに対策を必要としていた。
<テナント会が存在せず>
こうしたなか、M社は10年以上前から、物流や出店戦略でサンリブにさまざまな提案を行なってきた。サンリブ創業期は生鮮部門の管理を経営陣が兼務していたが、その後は時代とともに生鮮担当は不在となった。集団指導体制になった経営陣は2期4年ごとに交代。M社の提案は、議題に上っても経営陣が交代するたびに振り出しに戻ったという。M社は直営化すら賛同していた。前向きな提案をサンリブは長年にわたって放置してきたことになる。こうした経緯から見ても、今回の引き抜きと絶縁通達は業績向上の前向きな動機でないことが浮き彫りとなったと言えよう。
何より、一連の引き抜きや役員引き上げに関して主張すべきことがあるなら積極的に発信すべきだろうが、サンリブ側は今回の件については「答えられない」との姿勢を貫いている。九州トップクラスの小売業として、消費者を含めたステークホルダーが膨大な数に上る。サンリブは、重大な経営方針の決定には説明責任を果たすべきだろう。
今回の一連の動向に対して、「幹部の引き抜きも役員の退任も受け入れる」とM社はあくまでも忠誠を貫く考えだ。各テナントを苦境に陥れる要素は、もう1点ある。サンリブにはテナント会が存在しないのだ。ある別のテナントによると、数代前の代表が退任にあたり、テナントを思いやりテナント会の発足提案を置きみやげにしたとされる。しかし、次期経営陣が設立撤回をテナントに依頼。結局、テナント会発足は見送りになったという。そのためテナント同士のつながりは薄く、今回のような理不尽な行為があっても組織だった交渉ができないのが現状のようだ。
小売業であるサンリブにとって、今回の行為が業界に与える影響は図り知れない。北九州のあるスーパーは、相次ぐリストラにより社風がすさみ「従業員すら他店で購買していた」(関係者)ことは記憶に新しい。背信行為が明るみに出れば、鉄の結束を誇ったテナント、義に厚いM社信奉者の多い地場財界はどう見るか。
今後M社の店舗は、随時サンリブ直営に切り替わっていくと見られる。これまでM社には多くの有力小売業から入居依頼があった。しかし、サンリブへの忠誠心によりサンリブ営業エリアへの入居は断り続けてきた。これにより足かせが外れたM社は、北部九州への進出が可能となった。競争力の高い同社だけに、有力小売業が接触を図るのは必至だ。加えて鮮魚の直営化が困難なことは、これまでの他社の取り組みが立証している。サンリブは連続減収という強力な逆風のなか、未知の分野に踏み込むことになる。
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<COMPANY INFORMATION>
代 表:佐藤 秀晴
所在地:北九州市小倉南区上葛原2-14-1
設 立:1955年9月
資本金:7億円
業 種:スーパー経営
売上高:(12/2)1,461億2,400万円
仕入先:日本アクセス、コゲツ産業、三菱食品ほか
販売先:一般顧客
取引行:北九州(本店営業部)、西日本シティ(北九州営業部)ほか
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