2012年夏、ロンドン・パラリンピックで世界の頂点に立った日本ゴールボール選手団。その主力選手、小宮正江選手と浦田理恵選手は、「ゴールボールに出会い、目が見えないことは個性なのだと素直に思えるようになった」という。金メダル獲得への道は、まさに2人が人生を極めていく道程そのものだった。そして、新たな目標を極めるために、さらに一歩踏み出そうとしている。
<見えない目の"眼力">
「眼力がある」―それが小宮正江選手と、浦田理恵選手の第一印象だった。浦田選手は「相手を見つめながら話すからじゃないですか」と明るく笑った。声が聞こえれば、相手の口の位置がわかる。それをもとに、目の位置を捉えて視線を合わせるという。健常者にはない"見る力"を、彼女たちはたしかに持っている。
目が見えないことを前提として行なう競技「ゴールボール」。アイシェードを着ければ、視覚障害者でなくても参加できるという。とはいえ、視覚以外の感覚を発揮しなくてはならないこの競技は難しい。チーム同士の気配は感じられても、遠くに立つ相手選手の位置をどうやって見定めるのかと問うと、戸惑うことなく「音で見るんですよ」という答えが返ってきた。ボールには鈴が入っているが、音でボールの位置を知るというより、空気を切って飛ぶ音が闇のなかで線となって見えるのでわかるのだという。彼女たちの"見る力"をわかりやすくたとえて言うと、"イメージ喚起力"と言えるかもしれない。「相手がディフェンスをすれば、体のどこにボールが当たったのか、音でイメージできます。それで位置や相手の状態を知ることもできますね」、「相手がどういう動きをしているかも、音を聞いてイメージして判断して、相手の間を空けるような攻撃を仕掛けることもあります」―そうするうちに、相手の様子も把握できるようになる。
イメージ喚起力を始めとするさまざまな力は、訓練によって地道に身に付けていったそうだ。小学校のとき、将来失明すると宣告された小宮選手は、見えなくなる未来に向かって、徐々に己を鍛えていった。小宮選手は、ゴールボールに出会ったときの感動を次のように語る。「ゴールボールに出会ったときは、見えなくていいんだ、こんなに楽に生きることができるんだ、と驚きました。こんな環境に甘えちゃっていいのかな?と思ったぐらいです」。忍耐を強いられた人生が一転したように思えた。戸惑いは、やがて感謝へと変わった。ゴールボールに魅せられ着々と力を伸ばし、2002年にブラジルの大会に参加。初めての世界大会だったが、緊張よりむしろ昂揚感が先立った。本当にゴールボールが好きなのだ、と自覚した瞬間でもあった。そして、アテネ・パラリンピックで見事銀メダルを獲得する。
そんな小宮選手の活躍ぶりが、浦田選手の憧れとなったのは偶然というよりは必然だったのかもしれない。20歳から急速に視力を失った浦田選手にとって、希望への道がすでに敷かれていたのは幸運だった。浦田選手も、やがて海外で試合をするようになる。思い出深いのは07年、北京のパラリンピック出場をかけた大会だ。応援や激励の声が、普段ではなかなか感じられない空気となって一気に押し寄せてきた。「1人じゃ絶対に勝てません。周りの方が一体となって背中を押してくださるから、勝利に向かって闘うことができるのです」と熱く語る浦田選手の横で、小宮選手が静かに頷く。
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<プロフィール>
◆小宮 正江(こみや・まさえ)
1975年5月8日福岡県生まれ。九州産業大学出身。小学生の時、『網膜色素変性症』を発症。将来見えなくなると宣告され、通常の生活を送りながら視力低下を受け入れていく。12年、ロンドン・パラリンピックで金メダルを獲得。
◆浦田 理恵(うらた・りえ)
1977年7月1日熊本県生まれ、福岡在住。20歳過ぎて急激に視力低下し、『網膜色素変性症』と判明。左目の視力はなく、右目も視野が95%欠損しており強いコントラストのものしか判別できない。12年、ロンドン・パラリンピックで金メダルを獲得。
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