<とてつもなく壮大、欧米等外国人観光客も多い!>
秦の始皇帝陵兵馬俑博物館
中国の名所・旧跡は、北京でも上海でも、とても巨大だ。万里の長城は勿論だが、頤和園にしても、入場したと同時に、その大きさに圧倒され、一日で回ることを諦める。今回西安で訪れた名所・旧跡の大きさも、今まで訪れた場所に優とも劣らない。観光の際に多くの欧米などからの外国人観光客に出会ったが、残念ながら、日本人は見当たらなかった。
秦の始皇帝陵および兵馬俑は西安北東30km、市内から約1時間の驪山北側にある。兵馬俑(へいばよう)は、本来は古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士および馬をかたどったものを指す。しかし、現在では、秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納されたもののみを指す固有名詞の様に使われている。秦の始皇帝陵の一部として1987年、世界遺産(文化遺産)に登録されている。同時に"世界八大奇跡"の一つともされている。
その規模は2万m2余におよぶ、きわめて大きなもので、3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8,000体ちかくあり、みな、秦の敵国があった東を向いている。さらに、これらの兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはない。
この他に、司馬遷の「史記」には始皇帝の遺体安置場所近くに「水銀の川や海が作られた」と書かれてある。この記述は長い間、伝説と考えられていたが、81年の調査でこの周囲から水銀の蒸発が確認されており、とても興味深い。2006年には、日本で初めて彩色の残る兵士俑が公開されている。
<玄宗と楊貴妃の逢引きの舞台、西安事件の影!>
華清宮
「華清池」は、兵馬俑とはそれほど離れていない、西安の北東約30kmの標高1,256mの驪山の麓に抱かれるようにある。
この場所は、古く3,000年前の西周時代から驪山を源泉とする温泉地で、秦の始皇帝を始め歴代皇帝の保養地として利用されてきた。この地が有名なのは、唐代の玄宗皇帝と「世界三大美女」と言われる楊貴妃との逢引きの舞台になったからである。玄宗皇帝は747年、この温泉地に宮殿式建築の豪奢な湯殿を建て「華清宮」と名付け、長安から行幸し、楊貴妃との享楽生活にふけったと言われている。このことは、唐代の詩人白楽天によって長編叙事詩「長恨歌」に詠まれ有名である。この故事は舞踏劇化され、上演もされている。
一方、ここは、現代中国史においては重要な兵諌・西安事件の舞台としても知られている。周恩来が蒋介石と交渉を重ね、「抗日民族統一戦線」が結成され、国共合作が実現した。
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