2012年夏、ロンドン・パラリンピックで世界の頂点に立った日本ゴールボール選手団。その主力選手、小宮正江選手と浦田理恵選手は、「ゴールボールに出会い、目が見えないことは個性なのだと素直に思えるようになった」という。金メダル獲得への道は、まさに2人が人生を極めていく道程そのものだった。そして、新たな目標を極めるために、さらに一歩踏み出そうとしている。
<強さの秘密は「戦略」と「戦術」>
それにしても、なぜ日本ゴールボール選手団は強豪国相手に勝ち抜くことができたのだろう。体格やパワーでは明らかに他国に劣ることが多い。しかし、「戦略は日本が一番だと思います。だから金メダルが獲れたのです」と浦田選手は語る。
その戦略とは「相手に点を取らせないこと」だ。攻撃よりもディフェンス力を高めることに力を注ぐ。まずコーチが他国の情報を集め戦略を立て、それをもとに厳しいトレーニングを繰り返す。選手自身も、コーチの戦略を熟知し、各々戦術を使う。イメージ喚起力を活かして相手の動きをイメージした後は、その印象を必ず口に出して確認し合い、どういう戦術に出るか皆で考える。チームワームも戦略・戦術の1つだ。
海外遠征では何度も惨敗した。しかし、「コーチが『失点するということは、失点のメカニズムがわかるということだ』と教えてくれたので、私たち自身も次に失点を防ぐには何を行なうべきかを考えて動くようになりました」(浦田選手)。不得手とすることにこだわるよりも、できることを強化していく。見えることに固執するのではなく、見えないからこそできることを発見しながら成長してきた彼女たちの生き方にも通じるものがある。ゴールボールは人生そのものだ。そのゴールボールで世界を制覇した彼女たちは、人生を極めたということか。その答えは否だ。彼女たちはさらに次のステージを目指す。
<女性としての夢も共に追い求めたい>
ロンドン・パラリンピックに沸いた12年が終わり、13年からチームとして、リオデジャネイロ・パラリンピックの連覇を目指す日々が始まった。今までは一途に金メダルを追い求めていた。だが今、2人は、他のことも視野に入れようとしている。
まずは日本におけるゴールボール人口の増加と、後衛の育成だ。日本におけるゴールボール人口は、他国に比べると異常に少ない。世界を目指し、ゴールボール協会指定の合宿に参加するのは、わずか10人ほど。パラリンピックでは厳しい競争を勝ち抜いてきたトップクラスと闘わねばならない。日本も、互いに切磋琢磨して強くなる環境をつくる必要がある。またゴールボールは、訓練次第でいくらでも能力を開花できることを教えてくれた。これを他の視覚障害者たちにも教えたい。
「人間の可能性は無限大なんですよ!」と2人は口をそろえて言う。不安や恐怖も、夢を持つことで払拭された。目が悪いことが個性であり、強みであると、自信を持って言える人生を得てほしい。そのために自分たちにできることは、夢の1つとしてゴールボールを紹介し、仲間を増やしていくことだ。「全国にはまだ多くのゴールボール選手が眠っているのではないかと思うのです。もっと選手を発掘したいのです」(浦田選手)。
夢はゴールボールに関することだけではない。女性として人生を豊かに生きることも考え始めている。2人とも顔を輝かせて語る。「結婚や出産との両立は厳しいでしょうが、それをやってみせることが、今後、後輩たちのさらなる希望になるのではいかと思っています」(小宮選手)。「大変だからといって、夢を諦めたくありません。両立させようと決めて行動すれば、どうやったらできるのか、方法は見つかると思います。可能性を信じて二本柱の夢を実現できるように挑戦していきたいです」(浦田選手)。
2013年、2人は大きく変化した。可能性は無限大なのだと信じることができる人は、美しく、そして強い。
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<プロフィール>
◆小宮 正江(こみや・まさえ)
1975年5月8日福岡県生まれ。九州産業大学出身。小学生の時、『網膜色素変性症』を発症。将来見えなくなると宣告され、通常の生活を送りながら視力低下を受け入れていく。12年、ロンドン・パラリンピックで金メダルを獲得。
◆浦田 理恵(うらた・りえ)
1977年7月1日熊本県生まれ、福岡在住。20歳過ぎて急激に視力低下し、『網膜色素変性症』と判明。左目の視力はなく、右目も視野が95%欠損しており強いコントラストのものしか判別できない。12年、ロンドン・パラリンピックで金メダルを獲得。
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