日本弁護士連合会(日弁連)会長を務めた元弁護士の中坊公平氏が、3日亡くなった。83歳だった。直接取材する機会がなかったが、中坊弁護士の活動には鮮烈な印象を持っていた。
「裁判で勝つことが目的ではない。森永も国も被害者救済のために立ち上がってください」(森永ヒ素ミルク事件弁護団長としての意見陳述)など、中坊氏には共感するところが多かった。1980年代には豊田商事の巨額詐欺事件での被害者支援、90年代の香川県・豊島の産廃不法投棄問題。そこには、大阪弁護士会に消費者保護委員会ができた当時から消費者運動に取り組んできた中坊氏の「社会的弱者の立場からの代理人」としての姿があった。
一方、住宅金融債権管理機構(後の整理回収機構)初代社長も務め、強引な債権回収にともなう詐欺容疑で刑事告発され、東京地検特捜部の取り調べを受け(起訴猶予)、2005年に弁護士を廃業した。
司法改革を先導したのも中坊氏だった。90年から2年間日弁連会長を務め、「2割司法」という名スローガンを打ち出して「司法改革」を宣言。99年には司法制度改革審議会の委員となった。本人は「司法の限界を感じたことから、司法改革に力を注いだ」と語っていた。
今振り返っても、司法制度改革審議会での中坊氏の発言には、本質を突いたものがあった。
裁判官の能力と資質を論じて、「人間性を持たなければいけない」。
司法改革の視点も明確だった。「21世紀の我が国社会は、国民が統治客体意識から統治主体意識になって、そして法が『血肉化』した社会だ」と述べ、「法の支配というものが我が国のあるべき姿」「司法が果たすべき役割は、法曹が『社会生活上の医師』になる」と力説していた。
裁判員制度は、司法制度改革審議会の意見書が柱とした提言の1つが具体化したものだ。この「裁判所運営への国民参加」について、中坊氏は、こう発言していた。
「広く司法そのものが国民的基盤の上に立つかどうかということは」「国民主権という言葉は使ってないけれども、共通認識として、国民が統治客体意識から統治主体意識になっていないということから出発している」。
中坊氏が司法改革に持っていた問題意識の「大きな骨格」がよく表れている。同時に、司法試験合格者3,000人への増員路線を主張したのも中坊氏だった。
5年目を迎える裁判員裁判の現状、弁護士人口急増問題など、中坊氏はどう感じていたのか気になっていたが、もうお聞きする機会がなくなってしまった。
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