<津波想定を逆手に、防災日本一のまちづくりを目指す>
高知県黒潮町は、内閣府が昨年3月に公表した南海トラフ巨大地震に関する第1次報告で「最大津波高34.4m」という数字が示され、「津波のまち」として一躍全国にその名を馳せた。津波浸水は凶事以外の何物でもないが、大西勝也町長はこれを逆手にとり、防災施策をテコにまちの再構築を進め、「防災日本一のまち」への転換を目指している。"災い転じて福となす"同町の取り組みは、「貧すれば鈍する」状態にある自治体にとって、それぞれの突破口の想を得るうえで、ヒントになるように思われる。
「防災のオピニオンリーダーとしての職責を担わされた自覚がある」――。34.4mの衝撃がもたらした自覚だ。その自覚が、地震津波による「犠牲者ゼロ」のスローガン引き出したと言える。昨年3月からの13カ月間、同町の防災への取り組みは凄まじかった。大西町長の言葉を借りれば、「フルスピードで走ってきた」。防災に関する住民とのワークショップ、避難訓練は309回。のべ参加者数は1万3,400人を超え、同町の人口1万2,570人(2013年3月末)を上回った。「防災は行政主導ではダメ。たとえば、避難路を1つつくるにしても、住民にとって自分たちの避難路でなければならない」(大西町長)。いわゆる住民との合意形成への布石だが、その数だけを見ても、その本気度が伝わってくる。「自助、共助、公助」の3つがそろわないと「犠牲者ゼロ」は達成できないからだ。
「犠牲者ゼロ」に関するエピソードを紹介してくれた。ある全国紙が大西町長にインタビューしたときのことだ。記事を読むと、「犠牲者ゼロは本気なのか」という冷ややかな質問姿勢で貫かれていた。実際のインタビューでそんなやりとりはなかったのだが、「厳しい質問を投げかけられている方が良い。多くの読者もそう思っているだろう」と、むしろ我が意を得た感があった。なぜなのか。同町の取り組みに対して厳しい意見、冷ややかな意見が広がるということは、町職員、住民の意識が高まり、新たなまちづくりの力へとつながっていくからだ。
当然ながら、メディアで取り上げられることで、全国的なまちの知名度は向上する。同町では毎年5月上旬に「Tシャツアート」「はだしマラソン大会」を開催しているが、今年初めて参加者が1,000人を超えた。ある旅行代理店から同町の避難訓練を組み入れた修学旅行の提案もある。34.4mの数字が出たとき、団体ツアーのキャンセルが相次いだことを考えると、現在のこの「詣現象」は何を意味するのか。
大西町長いわく、「お涙ちょうだいだけではこうはなっていない。ポジティブな情報発信をやってきたからこそ。数字が出てからというもの、私はハナからそのつもりだった」。
13カ月間積み重ねてきた「防災日本一のまち」に向けた仕掛けは、現にその実を結びつつある。つまり、防災を売りにしたまちづくりだ。「不謹慎だ」などとつまらないことは言うまい。まちにとっての逆境をいかにチャンスに変えるか。なんとしたたかな戦略だろう。
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