東日本大震災の発生から数週間後、東北地方最大の歓楽街「国分町」(宮城県仙台市)は、復興支援などで訪れた客であふれ返り、復興バブルに沸いていた。現地を取材すると「店にも入りきらないほど客が来た」「値段を高くしても客は入った」「震災前と比べ売り上げが数倍になった」など、復興バブル当時の盛況さを物語るコメントが返ってきた。しかし現在、復興バブルは終焉し、バブルから現在にかけて人が集まる歓楽街に進出するチェーン店が全国から相次ぎ、競争は激化、つぶれる店も出始めた。震災から2年経過した国分町はバトルロワイヤルと化していた。
<地元の店は4割に減少>
震災前から店を構え、復興バブルから現在までをみてきたキャバクラのママM氏(20代後半)は、「震災前は地元の人が経営するお店が9割でしたが、震災後は約4割程度になりました。今、国分町でお店を出している半分以上は他県からのチェーン店だと思います」と語る。震災後、国分町には復興バブルの噂を聞きつけた北海道、東京、名古屋、大阪、福岡などの関係者が進出し、荒稼ぎしていたのだ。
「仙台で飲むのも復興支援」と考えて国分町を訪れた人も多かったようだが、国分町にお金を落としても、それが被災地支援につながらず、他県の店員や経営者を潤わせることになってしまう。国分町には空き物件もほとんどなくなり、賃料も高騰した。そのしわ寄せは地元の店に来ている。「暇になるよりかは、国分町が盛り上がっているのはいいことだと思うのですが・・・」(M氏)と、他県からの参入組が牛耳る現状をよく思っていない。
また、別の店の店員は「客は増えたけど、店も増えたので震災前より競争が激しくなった」と、復興バブルによって、逆に経営が苦しくなったという現状を語った。
M氏によると、国分町を訪れる客層は約7割が県外からで、地元の客は残りの3割程度だという。地元の客であれば店の系列がわかるかもしれないが、県外からの客はわからない。こうした状況もあり、国分町には県外から多くの店が進出した。
<関西系の店が躍進>
しかし、国分町で成功するのはそう甘くない。復興バブル時こそ、店を出せば人が入る状況だったが、現在は競争が激しくなり撤退する店も出ている。国分町で成功しているのは、関西系の店だという。人情味溢れる接客スタイルが東北にマッチし、関西弁の受けも良く、リピート客を増やしている。関西出身の店員を雇う地元の店も出始めたほどだ。
逆に苦戦しているのが関東系の店。国分町の客単価は「1人で飲んでも1時間で約1万円程度」(M氏)といい、人件費が高めの東京の店が、東京と同じスタイルで営業してもうまくいかないという。
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