日本の国技である相撲は、競技者が土俵というラインを出たら負けという珍しい格闘技である。世界の格闘技で出たら負けというものはほとんど存在しない。そして、土俵の直径は15尺(4メートル55センチ)に決まっている。1931年に制定、力士の体格はかなり大きくなっているにも拘わらず現在も同じ15尺である。実は、第二次世界大戦後、連合軍の「土俵を大きくしろ」の一声で、1945年の1場所だけ16尺になったことがある。しかし、ルール変更を機に、大横綱双葉山が引退を決め、それも一因で、翌年には15尺に戻っている。この双葉山の行動は、日本人の"ルールに対する姿勢"を実に端的に表している。
さかのぼれば、スキージャンプ、F1、柔道、ごく最近ではレスリングなどの"国際スポーツ"を中心にルールにまつわる話題が新聞を賑わすことが多くなった。その背景には、日本人の間には「日本が強いスポーツばかりがパッシングされている」という被害者意識がとても強い。著者は、「それは本当だろうか」と疑問を投げかける。
著者は本田技研工業(株)勤務の現役ビジネスパーソンである。専修大学大学院では産業政策論を講じ、業務や講義に関する欧米のビジネス書を発掘、翻訳も行なう。本書では、豊富な海外駐在経験をもとに、日本人と欧米人のルールに関する考え方の違いとその理由を解き明かしている。日本人がルール作りに参画する必要性と同時に、失ってはいけないプリンシプルや美徳に関しても言及している。
<ルールを変更して闘いを有利に運ぶのは自然な行動!>
スポーツだけでなく、ビジネスでもルールの変更は欧米列強の常套手段である。これを日本人は「ずるい」という言葉で非難する。欧米人の考えるルールというのは、利害関係者間の決め事であり、闘いの一部と言っても過言ではない。彼らにとってルールを変更して闘いを有利に運ぶことは自然な行動であり、決してずるいやり方ではないのだ。
一般の日本人は、「ルールとはエライ人が決め、自分は作成に参加できないもの」と考える。しかし、欧米には、国民主権の立場から「国民がルール作りに対してものを言う土壌」が最初から存在している。
欧米人から見ると日本人がルールと思いこんでいるものは、「プリンシプル」(行動の原則、個人の信条・哲学・美学)と言うべきもので、ルールには始めから「ずるい」とか「美しい」などという判定基準はない。その上で著者は国際社会で日本が勝利していくためには、ルール作りへの参画を闘いの範囲に加えることが必要不可欠と説く。
「グローバリゼ―ション」とは、アメリカの国土拡大「アメリカナイゼーション」のことであり、欧州のビジネス戦略とは、EUが独自に作ったルールで他国を縛り、欧州企業の競争力を高めようとするものである。
今後は日本人もルール変更の結果だけに、一喜一憂するのでなく、積極的にルール作りに参加、そのルールに欧米から畏怖され、ある種の尊敬を勝ち得ている、素晴らしい日本人のプリンシプルを反映させていくべきだと結んでいる。
本書で、読者は国際感覚が磨かれる一方、日本的な考え方の良し悪しも再認識できる。
最後に、IOC理事会でレスリングの「中核競技」除外が決まった時の関係者のコメントに、欧米と日本のルールに関する認識の違いが端的に表れているので紹介する。
マルティネッティ国際レスリング連盟会長「IOCの動きを察知できず、働きかけを怠ったので責任をとる」と即辞任したのに対し、JOC竹田会長「選手のことを思うと胸が痛む」、吉田選手「信じられない」、JOC職員「夢じゃないか」と語っている。
<プロフィール>
三好 老師 (みよしろうし)
ジャーナリスト、コラムニスト。専門は、社会人教育、学校教育問題。日中文化にも造詣が深く、在日中国人のキャリア事情に精通。日中の新聞、雑誌に執筆、講演、座談会などマルチに活動中。
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