<震災直後は不埒な輩も>
震災直後の話では、既報の通り、震災後の国分町には窃盗団が客として訪れていたこともあった。M氏の店にも少なからず不埒な輩が足を運んでいた。ある客は被災地がガソリン不足だったことに目を付け、ガソリン20リットルを1万5,000円で被災者に売って儲けていた。1リットル750円と法外な価格だが、この客は羽振りが良く、儲かっている様子だったという。
対照的な客もいた。それは阪神・淡路大震災の被災者でもある経営者で、タンクローリーで被災地を回り、ガソリンを無料で配給していたという。M氏はこうした客に「本当に助けられた」として、感謝をしていた。
<客層変化でバブルも終焉>
震災から間もない頃、自衛隊やボランティアなどは、ハードな仕事をこなし、夜は息抜きで国分町に訪れていた。地元の店も被災者でありながら、復興支援に携わる者のオアシスとして、店を空けた。地元から「こんな大変な時に何をやっているんだ」と批判を受けつつも、自らできることを進んでやった。被災者に味噌汁を配るなど、支援活動も行なっていた店もあったという。
被災地に住むM氏の家族は全員無事だったが、祖母の自宅は気仙沼にあり、震災後は泥はけなどを手伝っていた。店もドアにひびが入って動かなくなるなど、震災の影響を受けていたが、2週間で開店にこぎつけた。
まだ開店する店が少ないなか、復興支援で全国から訪れた人が憩いの場を国分町に求めた。国分町の復興バブルは、こうした非常事態のなかで沸き起こった。
国分町に訪れる客層は、だんだんと変化している。震災から数週間後は自衛隊や石油会社、ボランティアなどが中心だった。その後はボランティア、ゼネコン、保険会社、産廃業者、芸人などに変化している。現在の客層はゼネコンの下請け業者、仙台で会社設立を検討している企業の視察などが多いという。
非常事態のなかで県外からこの歓楽街に群がる業者もあったが、震災から2年が経過し、震災直後の緊張状態も解け、国分町は通常の姿に戻りつつある。競争が激化したこれからが、国分町バトルロワイヤルの始まりである。
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