<取締役会議(9)>
議長の栗野は、
「まず谷野頭取が提案された取締役候補者と、沢谷専務が動議で提案された取締役候補者と重複している北野俊弘、川中隆史、梅原哲夫、大島俊之、木下秀男、小林辰彦、古谷政治、古田康彦の各氏を取締役候補者に選任し、総会に提案するとすることについて上程したいと思います。この8名を選任することについて、ご質問か意見はございませんか」
と問うたが、特に誰からも発言はなかった。
栗野は、
「それでは北野俊弘、川中隆史、梅原哲夫、大島俊之、木下秀男、小林辰彦、古谷政治、古田康彦の各氏を総会に選任を提案する取締役候補者とすることに賛成の方は挙手をお願いします」
と述べると、全員から「異議なし」の声が上がり、8名を選任することが可決承認された。
この決議により栗野が自分自身の任期途中の退任と引き換えに、再任を求めた北野と川中の留任が確定した。栗野が北野と川中の2人の再任を谷野に認めさせたのは、取締役会議で過半数を確保し、『谷野頭取を罷免任』するための秘策であり、谷本相談役を頂点とする守旧派が仕掛けたしたたかな罠であった。
もし栗野が任期途中の退任をせずに、北野常務と川中常務が退任した場合、守旧派のメンバーで沢谷の動議に賛成する取締役は、栗野会長、沢谷専務、吉沢常務、古谷取締役の4名と、新たに加わる松木取締役、大島取締役、原口取締役3名を併せても7名である。反対は谷野頭取、石野専務、梅原取締役、木下取締役、小林取締役5名に堀部取締役が加われば6名となる。その結果賛成7反対6棄権2となると、取締役15名のうち賛成7名では過半数の8名を超えないため、動議案は否決されることになる。
ただその場合でも退任予定の北野と川中の両常務のうち、どちらか一人が動議に賛成に回れば、賛成8反対6棄権1となり可決することになるが、北野にしても川中にしても退任予定の取締役が、「谷本相談役のため、守旧派のために」と言われても、自殺行為に等しい『谷野頭取罷免』の動議に賛成する立場をとれば、織田信長を裏切った明智光秀と同様、谷野を頭取の座から追い落とした張本人との烙印を一生背負うことになり、到底賛成に回ることはできず棄権に回らざるを得ない立場にあった。それを見越して自身の退任と引き換えに、北野常務と川中常務の留任を谷野に求めたのは、栗野にとってまさに背水の陣であったが、一方頭取の谷野は、栗野の「肉を切らせて骨を切る」捨て身の戦法を受けることになろうとは、その時夢にも思わなかったようだった。
『谷野頭取交代劇』は相談役の谷本と頭取の谷野との確執から生まれたが、その後会長の栗野と頭取の谷野との確執が新たに加わったことで、15人の取締役全員が敵味方に分かれてあい争う深刻な事態となった。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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