自民党元副総裁の山崎拓氏(近未来政治研究会最高顧問)に、安倍内閣と日本の針路について、(株)データ・マックスの児玉直代表が独占インタビューした。山崎氏が、政治経済、外交で日本のとるべき"本道"を語った。
<日中・日韓と歴史認識>
――中国、韓国との関係が心配だ。政治家は、安倍首相のように、最初は「安全運転で行こう」「参議院選挙までは経済問題だけで行こう」と言っていたのが、人気が出ると、自分の好きな道に行きたくなるものなのか。
山崎拓・自民党元副総裁(以下、山崎) 自分は不動の支持を得たと錯覚したんじゃないですか。政権とってまだ4カ月。とても恒久的な支持基盤ができたわけではない。そこに錯覚がある。周りが「この人気は6年続く」「党則を変えて総裁任期を何期もやれるように変えなければ」とおだてるから。周りの人間の権力者に対する迎合の類だ。それでおかしくなる。誰でもそうだ。おかしくならなかったのは小泉純一郎元首相くらいのものだ。郵政選挙で大勝した後、首相も辞めて、衆議院議員も辞めた。「俺も辞めるからあんたも辞めろ」と電話してきたくらいだ。小泉は、非常に恬淡なところがある。
――山崎先生と安倍首相の根本的な違いは、同じく国家を愛しているが、山崎先生には変な国家主義がない。中国や韓国とケンカするのではなく向かい合っていくことは国家の利益になるが、誰もかれもを敵にしてしまうのは外交戦略ではないと思うが。
山崎 ところが、誰もかれも敵に回す状況になっている。韓国の人も中国の人も「蔑視している」と思っているだろう。
――政治家というのは権力を掌握すると突っ走るものなのか。
山崎 安倍首相はまったく戦争経験がないから、「靖国神社の問題は、内政問題だから外からガタガタ言うな」というようなセンスの話をする。日本の施政者は、人種的偏見を持ったらいけない。今の内閣は、人種的偏見があると思われても仕方ないことばかり言っている。
<満州、戦争体験が原点>
――ところで、満州には何歳までおられましたか。
山崎 私は生まれは満州大連ですが、幼児期を上海で過ごした。父がいた満鉄調査部が最初は長春と大連、そこから拠点を上海に移したから。満鉄調査部は満州の範囲を超えて中国全土の経済支配をどうするかをやっていた。
――幼いときに中国にいた経験があるから、中国、韓国といったアジアの人たちの微妙な気持ちが生活感覚でわかるのではありませんか。
山崎 子どもだから中国のこと、世界のこと、戦争のことがわかったわけではないが、親父はどちらかと言えば左派でしたからね、祖父は玄洋社だから右翼の塊だった(笑)。父は、東大経済学部で、マルクス経済学の大内兵衛、有沢広巳のゼミなんです。満鉄調査部は、後に共産党にいったのが多かった。親父は「拓よ、この戦争は負ける。無茶な戦争だった」と言った。それで、「もう引き揚げよう」と言って、終戦直前、自分が小学校に入る前に引き揚げた。
――情報の差ですね。そういう原点があるから安倍首相とは違う。終戦の1945(昭和20)年は8歳ですね。そういう原点は、古賀誠元衆議院議員も、父親が戦死されたことで遺族会と関わったと聞いている。変な右翼的イデオロギーはない。
<古賀、加藤氏が「憲法9条守る」>
山崎 昨年の衆議院選挙後、古賀氏とは2回対談をやったが、彼が「憲法9条を守る」と言ったので、本当にびっくりした。宏池会の伝統を守っていると思った。加藤紘一氏もそうだ。毎日新聞で対談したときに、「憲法9条は現行憲法の主柱だから、変えてはいけない」と言ったので、びっくりした。長い付き合いで、当選して以来40数年盟友だったが、1回もそういう言い方をしたことはなかった。僕が憲法改正論者だと知っているから、遠慮していたのかもしれないが。
――それだけ自民党が柔軟だったんですよね。
山崎 幅が広かった。
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