<改修不能、退去命令の対象か>
耐震強度不足が浮上した新生マンション花畑西(福岡県久留米市)。問題が発覚したのには、わけがある。
補修工事の途中だった09年、鹿島建設がマンション管理組合に対し、マンションの瑕疵(欠陥)の存否について調停を起こしたため、住民側が専門家に依頼するなかで、昨年、耐震設計に疑義が生じたのだ。そこで、構造計算を検証したところ、耐震強度の不足が判明した。
住民らが構造計算の検証を専門家に依頼した結果、耐震強度不足が判明した。
耐震偽装が社会問題となった「姉歯事件」のレベルをはるかに超える耐震不足に、住民らは恐怖した。耐震強度が基準の22~37%程度しかなく、中程度の地震で倒壊の危険があるという結果だったからだ。
住民側が依頼した専門家の検証によると、現在の構造計算プログラムでは、一次設計(通常の震度6弱程度の地震に対する安全性)の耐震強度が基準の約22%しかなく、建築確認申請当時の構造計算プログラムによる検証結果でも、耐震強度は約37%しかなかった。
耐震強度が基準の50%未満の建物は、耐震改修では対応できず、震度5強程度の地震で倒壊の恐れがあるとされる。耐震偽装が社会問題となった05年当時、耐震強度50%未満の耐震偽装物件が使用制限や退去命令の対象となり、住民が退去して、建物が取り壊されたり建て替えられる事態に発展した。
耐震強度22%が本当ならば、もはや改修不可能、住み続けることができないレベルである。
<耐震強度不足浮上 構造計算書なぜ竣工後の日付>
当時の確認申請書類は、保管期間を過ぎているため久留米市役所には残されていない。確認通知書などの、いわゆる「副本」が販売会社からマンション管理組合に引き渡されていて、保管されていたため、耐震設計(構造計算)の検証ができた。もし、マンション管理組合に「副本」が残されていなければ、今回の問題は闇に葬り去られていたかもしれない。
ただし、残されていた構造計算書は、竣工後の日付になっていた。そのため、確認申請に添付された構造計算書の「副本」ではないことは明らかだ。確認済み後、設計に何らかの変更があったため、構造計算をやり直したとする見方が浮上している。もし、確認申請時の「副本」と同一だとすれば、「2種地盤」と設定しながら、実際の計算で「1種地盤」を用いていること(「地盤のねつ造」)を見逃して建築確認が下りるはずがないからだ。
「副本は通常、建築工事中は、現場事務所に備え付けられている」(建築関係者)とされ、設計変更の有無や、「副本」ではない別の構造計算書が作成された経過と理由などを元請の鹿島建設が知らないはずがないという。なぜ「地盤のねつ造」が行なわれたのか、謎が深まるばかりだ。
<行政は、倒壊の恐怖から住民を救え>
鹿島建設がこのマンションを元請として施工した94年当時、日本はバブル崩壊の不況に陥っていた。鹿島建設の社史は当時をこう記している。
「バブルの余韻により1990年代前半まで活況を呈していた建設需要も、その後民需を中心に急速に減少していった」。
民需の減少するなか、建設会社はのどから手が出るほど受注を獲得したい時期だったといえるだろう。
鹿島建設自身が「鹿島建設施工による標準的な建物とは言えない」と述べるような施工不良がなぜ起きたのか。構造計算の際に耐震強度の著しい不足や「地盤のねつ造」がなぜ起きたのか。残された構造計算書がなぜ竣工後の日付なのか。今となっては解明するのは困難だ。
販売した新生住宅(株)は当時、久留米市諏訪野町に本社があり、永野宗重氏が代表取締役社長だったが、08年6月に解散している。
新生住宅が廃業しているうえ、設計の関係者から久留米市が事情を聞くのは難航した様子がうかがわれる。鹿島建設からは任意で当時の事情を聞いたと見られるが、構造設計グループの森岡一博氏とは連絡が取れていない模様だ。
U&A設計事務所と木村建築研究所が共同設計し、構造設計グループ森岡一博氏が構造設計し、94年9月に建築確認済となり、96年1月に竣工した。
共同設計といっても、関係者によると、木村建築研究所は意匠を手伝っただけで、実質の設計者はU&A設計事務所の瀬戸口通允代表、構造設計グループの森岡氏であり、構造計算書の設計者欄にも両氏が記載されている。
住民は「犯人探しが目的ではない」と語る。まず肝心なのは、耐震設計が安全なのか、危険なのか、である。「住民の生命を守る」ことは自治体の責務である。1日も早く結論を出し、住民を恐怖から救い、生命と安全を守る真剣な手立てを講じることが求められている。
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▼関連リンク
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・新生マンション花畑西・下川紗葵理事長に聞く
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