<危険は、見えやすいほど避けやすい!>
私たちの普段の生活のなかには、命に関わるような危険がたくさんある。しかし、「見え難いから避け難い」街のなかで暮らし、他者から管理されることに慣れてしまうと、危険を察知したり、回避したりする能力が鈍化する。
竹内洋岳氏は「山には、"危険"というイメージが持たれる。しかし、危険だから山には登らない方がいいという考え方は正しくない。危険というのは、見えやすいほど避けやすい。登山は、危険が見えるゆえに安全を追求できるスポーツである」と言う。
著者の竹内氏は2012年5月26日、日本人初の"14サミッター"(地球上には8,000mを超える山が14座あり、その全てに完登したものだけに与えられる名称)になった登山家である。第17回植村直己冒険賞を受賞。07年、ガッシャブルムⅡ峰(8,035m)では、雪崩で300m転落、全身打撲で片肺が潰れ、背骨の1つが破裂骨折、肋骨が6本折れた。しかし、その翌年の08年には、再登のガッシャブルムⅡ峰、ブロード・ピーク(8,051m)の2座の登頂を果たしている。
著者がこの本で読者に伝えたいことは、「高所登山の魅力」と「挑戦を続ける喜び」である。登山は"想像のスポーツ"であると言う。死んでしまうという相像ができなければ、それを回避する手段も想像できない。登山家はどれだけ多く想像できるかを争っている。目標が黙って相手から近づいてくることはない。「いかにリスクと向き合うか」、「過去の経験をどう活かすか」、「生と死を分けるものは何か」を絶え間なく考え続けている。
著者はこの本のタイトルとして「登山の哲学」を編集者から提案された際、1度断っている。自分の経験した「高所登山」という偏った1種目と崇高な学問である「哲学」とをくっつけることに無理があるという理由である。しかし、この本を読むと充分タイトルに内容が負けていないことを感じることができる。
標高8,000mを超える高所は、「旅客機が飛んでいる高さ」であり、"死の世界"と呼ばれ、そこにはまったく生命感がない。"シルバーモーメント"(何もかもが銀色に発光する一瞬)の感動は"写真"からは伝わらない。「人間の目はウソをつきます。私たちは見えるものを、自分の都合のいいように見ている。しかも脳の中で都合のいいように変換してしまう。つまり、そこまで辿り着いた人間と自然環境が共同で作り上げた光景は"写真"では表現できないのです」は達観である。
<多くの若い読者にも、読んで欲しい!>
登山にはリタイアという選択肢はない。登頂できた場合でも、途中で引き返した場合でも、自力で下りてくるまで終わらない。自力で下山できなかった時は、本来なら死んだ時である。思えば、1984年、世界で初めて、マッキンリー厳冬期単独登頂に成功した日本を代表する冒険家である植村直己氏も下山途中で消息を絶ったままである。
この原稿を書いている間にも2つの大きなニュースがあった。1つは冒険家の三浦雄一郎氏が史上最高齢80歳でエベレスト(8,848m)の登頂に成功した。他の1つは、女性登山家の河野千鶴子氏が著者の14座目に登頂を果たしたダウラギリI峰(8,167m)で遭難したらしいというものである。
経験は「知識」にはなるけど、あまり役に立たない。経験を積み重ねれば重ねるほど、想像できる範囲が狭まり、非常に危険でもある。何が起こるか分からないから、何が起こっても対処できるように想像して山に登る。経験に頼るのではなく、想像を広げながら登るから、新しいことも見えてくる。
なぜ、エベレストに上るのか?「そこに山があるからだ」(登山家 ジョージ・マロリー)は誰でも知っている有名な逸話だ。そして、高所登山に対するイメージがここで留まっている読者も多いと思う。しかし、本書を読むことによって、今一歩、歩みを進めることができる。著者は言う「登りたいから仕方ない」のだ。
本書は「高所登山」という限られた分野に関心がある読者だけを対象にしたものではない。筆者は"社会人のキャリア形成"が専門であるが、その観点からも、就職、進学等で様々な壁にまさにブチ当たっている若い読者にも読んで欲しいと思う。セミナーや講演会では得られない多くのヒントが含まれている。
読み方のアドバイスであるが、数回、"がむしゃら"に読み、理解できたら、1度すっかり忘れてしまうことだ。そして、その考えに決して"酔う"ことなく、自分自身のエベレストを設定し、果敢にアタックして欲しい。
<プロフィール>
三好 老師 (みよしろうし)
ジャーナリスト、コラムニスト。専門は、社会人教育、学校教育問題。日中文化にも造詣が深く、在日中国人のキャリア事情に精通。日中の新聞、雑誌に執筆、講演、座談会などマルチに活動中。
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